仏陀(ブッダ)の生涯(20)仏陀(ブッダ)の死後
「如是我聞」 仏陀(ブッダ)自身は著作を残しませんでした。 仏陀(ブッダ)入滅後、阿闍世王はその教えが誤りのないようにするため、弟子たちが大集結して、仏陀(ブッダ)の言動や教団の戒律などを書き残しておこうと考え、そのよう...
仏陀の生涯
「如是我聞」 仏陀(ブッダ)自身は著作を残しませんでした。 仏陀(ブッダ)入滅後、阿闍世王はその教えが誤りのないようにするため、弟子たちが大集結して、仏陀(ブッダ)の言動や教団の戒律などを書き残しておこうと考え、そのよう...
衆苦を断ち、煩悩の業火を消し、不生不滅の法性を認証して、万苦を解脱して、涅槃(ねはん)の世界 仏陀(ブッダ)は、痛みをこらえてヴァディー村に着きました。 金属細工師のチェンダのマンゴー林に泊まりました。 チェンダは、心を...
法と律とに精励するものは、生の流転をはなれて、苦しみも終わるであろう。 仏陀(ブッダ)は、八十歳になっていました。 余命少しと感じた仏陀(ブッダ)は、霊鷲山(りようじゆせん)を下りて旅に出ることにしました。 祗園精舎であ...
「人生における五欲の楽しみは危険である」 仏陀(ブッダ)は、マカダ国をサーリ仏陀(ブッダ)やモッガラー等に任せて、コーサラのシュラーヴァスティーに移る事としました。 その途上、仏陀(ブッダ)は五人の弟子を連れ、故郷のカピ...
“祗園精舎(ぎおんしょうじゃ)”とサーリープッタ(舎利子) ピンダダも仏陀(ブッダ)の信者となり、コーサラ国の首都シュラーヴァスティー(舎衛城)に精舎を建設するから、そこへ来てくれるように仏陀(ブ...
“功徳(くどく)と縁起(えんぎ)の理法” 仏陀(ブッダ)は、マカダ国12万人の国民を教化するために布教に努めました。 国の人々には、カッサパが仏陀(ブッダ)の弟子となったことは信じませんでした。 ...
仏陀(ブッダ)が”正覚者(しょうがくしゃ)”となる 男性は仏陀(ブッダ)に、カッサパの周りには狂信者が常に二十人もいると心配しますが、仏陀(ブッダ)は「一切を空と感ずる私に、死への恐怖は無い。」こ...
「初転法輪」とは最初の説法 仏陀(ブッダ)の体得した真理は、五人の修行者にも伝わりました。 論理的認証と思索によって他の修行者へ伝達可能であったことは、仏陀(ブッダ)の教えを広める上での飛躍であった(こうした理由で、後代...
“虚空(こくう)”は無辺であると観ぜられた時、”空無辺処(くうむへんしょ)”を成就します。 仏陀(ブッダ)は、まず仙人と仰いだアーラーラ・カーラーマ仙人を訪ねるつもりでしま...
「万物はすべて無常です。欲望も恐怖も苦悩も、すべて無我によって死滅する」。 シッタルダは、川辺の菩提樹の樹陰で、長年思索に思索を重ねて追求してきた真理を得ました。 “無処有所”の思想を飛び越え、一...