仏陀(ブッダ)の生涯(14)仏陀(ブッダ)の最初の説法(2)

スポンサーリンク

仏陀(ブッダ)が”正覚者(しょうがくしゃ)”となる

男性は仏陀(ブッダ)に、カッサパの周りには狂信者が常に二十人もいると心配しますが、仏陀(ブッダ)は「一切を空と感ずる私に、死への恐怖は無い。」ことを男に説明しました。

仏陀(ブッダ)は、教えられた通り、カッサパのいる洞窟へ向かいました。

洞窟の中では、三十人近い信者が火を拝んで呪文を唱えていました。

仏陀(ブッダ)はカッサパの了承を得て、洞窟へ泊まりました。

仏陀(ブッダ)は、洞窟の聖火台を守る大毒蛇(コブラ)に襲われそうになりましましたが、首を簡単に押さえつけ毒を岩に流してから、蛇の胴体を引きずりながら洞窟を出てきました。

驚くカッサパを尻目に、仏陀(ブッダ)は毒蛇を深い谷底の川に投げ捨てました。

こうしてカッサパとその修行者は、仏陀(ブッダ)の足もとにひざまづいました。

仏陀(ブッダ)は、洞窟で帝釈天(インドラ)に真理を説いたと言うが、カッサパは疑っていました。

“訓練を積めば蛇などたやすく扱える”と思っていました。

仏陀(ブッダ)は、三日間に渡り、カッサパと弟子に教えを説きました。

カッサパは自ら髪を切り、髭を剃り、黄衣を着て、拝火教の祭具を川に捨てました。

カッサパの弟のナディ・カッサパとガヤ・カッサパが、五百人余りの信者を連れて、ウルヴェーラーのもとに来ましたが、最終的にこの兄弟も仏陀(ブッダ)の信者となりました。

カッサパ兄弟の弟子は千人もいたので、仏陀(ブッダ)の教えを信ずる大教団となりました。
仏陀(ブッダ)は、拝火教の霊場ガヤーシーサ山に千人の修行者を連れて行き、拝火教の教義の誤りを正しました。

仏陀(ブッダ)は、しばらくガヤーシーサ山に留まりました。
千人が仏陀(ブッダ)の教理を正しく把握するには、それなりの時間が必要だったからです。
その後、仏陀(ブッダ)は千人近くの弟子と山を下り、マカダ国の王都ラージャグリハ(王舎城)へ行き、国王のピンビサーラを訪ねました。

ピンビサーラは仏陀(ブッダ)が”正覚者(しょうがくしゃ)”として、千人もの門弟をひきいる身となったのを喜び、千人の集団を収容できる竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)を城外に寄付しました。

正覚(しょうがく)は仏教用語で、さとり、仏のさとり、正しいさとりのこと。また、宇宙の大真理をさとること。真理をさとった人、仏、如来をも意味する。生死の迷いを去って、いっさいの真理を正しく平等に悟ること。