仏教のことば:「声明(しょうみょう)」

声明(しょうみょう)

経典の文句や、和讃などを、仏前で一定の音律により唱えることです。

僧侶が節を付けて唱えるお経や、仏さまの徳や慈悲を讃えて伝統的な節を付けて歌う讃歌などを、古代インドではガータと言い、中国や日本では現在も「梵唄(ぼんばい)」と言っています。

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仏教のことば:「沙門(しゃもん)」

沙門(しゃもん)

出家して仏道を修行する人をいいます。

当時のバラモンは、身分制度の頂点にたち、神へ祈りを捧げる祭事をバラモンだけで独占して取り仕切りました。
バラモン以外の階級の人々は神への祈りも禁止され、バラモンは独裁的な思想で社会支配を実施していきます。

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仏教のことば:「七高僧(しちこうそう)」

七高僧(しちこうそう)

親鸞が本願念仏の先人として讃嘆した印中日3国7人の高僧。

龍樹と天親、曇鸞と道綽と善導、源信と源空(法然)。

釈迦以来、親鸞(しんらん)の開宗に至るまで、弥陀(みだ)の他力本願を宣布し西方浄土への往生を勧めた七人の高僧。インドの竜樹・天親、中国の曇鸞(どんらん)・道綽(どうしやく)・善導、日本の源信・源空。親鸞の選定という。七祖。

親鸞聖人(しんらんしょうにん)が、七高僧の第一に挙げられたのは、ほとけになる道を「難易(なんい)のふたつ」にわけて、凡夫のわれらにも、ほとけになる道があるとお説き下さったからです。

そのひとつは難行道(なんぎょうどう)です。
これは陸路の歩行のようなもので、山あり谷あり、体力の限りをつくして苦行(くぎょう)するという聖者の道です。
もうひとつは易行道(いぎょうどう)といい、阿弥陀如来の本願を信じ念仏を申すというわたしたちが救われる道です。
それはちょうど陸路の歩行が困難であるのに対して「水路の乗船」のようなものだという巧みな比喩(ひゆ)で解説されました。

聖人は比叡山での20年間にわたる自らの難行苦行の体験を通じて「流転輪廻のわれら」には易行道であればこそ、ほとけになれるということを明かされました。

「弘誓のふね」は阿弥陀如来の本願をいいます。
私たちのただひとつの救いの道であるから、深く信ぜよと聖人は導いてくださいます。

七高僧のお一人お一人の教えが述べられる前に、「総讃」といわれる四句があります。
「印度西天之論家中夏日域之高僧顕大聖興世正意明如来本誓応機」(印度・西天の論家、中夏・日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす)という偈文です。

「印度」は、いうまでもなくインドのことです。
また「西天」というのは、中国より西方にあたる天竺(インド)のことです。
「論家」というのは、「論」といわれる著作を世に残しておられる人という意味です。

「中夏」は、中国のことで、「夏」は、この場合は大きくて盛んなありさまを表わす文字です。
中国の人びとは、古くから、自分たちの国に誇りをもっていて、中国こそが世界の中心であり、盛んな国であると考えていました。
そういうことから「中夏」という言い方がなされてきたわけです。
「日域」は、私たちが住む日本のことです。

インドには、二人の高僧が出られました。
龍樹大士と天親菩薩です。
中国には、曇鸞大師・道綽禅師・善導大師という三人の高僧がおられました。
そして日本には、源信僧都と源空(法然)上人のお二人が出られたのです。

この方々の他にも、念仏の大切さを教えられた先人は何人もおられました。
けれども親鸞聖人は、特にこの七人の方々が、「大聖」つまり釈尊が世にお出ましになられた本当のお心を顕らかにしてくださったのだと見ておられるのです。
そしてまた、阿弥陀如来が起こされた誓願が、まさしく私たちのような邪見・きょうまんの悪衆生を救うのにふさわしい誓願であることを、七高僧は明らかにしてくださっていると教えておられるのです。