仏陀(ブッダ)の生涯(6)仏陀(ブッダ)の出家(2)

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人間の”四苦”「生・老・病・死」

ある日太子が園林へ降りると、巨樹の下に座して坐禅をしていた時、ある乞食(こつじき)の修行僧が近づいてきました。

修行僧は、「煩悩は切って捨てるわけにはいかない、煩悩こそ出家修行の始まり」と言います。
太子は、その修行僧との会話を通じて、出家を決意しました。

伝承では、この城退出の契機を四門出遊〈シモンシュツユウ〉と伝えています。

ある時に王子が城の西門から出た時、老衰激しい老人に出会い、南門から出た時には、苦しむ病人に出会い、西門から出た時には、死者の葬列に出会いました。

北門から出た時に、気高い修行者と出会い、その気品に打たれました。

これが出家の機縁であると伝えられています。

翌朝、夜明け前に、シッタルダ太子は、従者のチャンナと白馬のカンタカと共に出発しました。
太子は、カピラヴァスツの町を一気に駆け抜け、アヌービアの森に着きました。

そこで初めて、太子はチャンナに出家の決意を話しました。

引き止めるチャンナを説得して、彼を白馬カンタカと共に王宮へ返しました。

太子は、林の中へ分け入りました。

途中で猟師に逢い、太子の白絹の衣と、猟師の古い衣と交換しました。

これで、太子も少しは苦行者らしくなりました。

仏陀(ブッダ)は夜中にこっそりと城を出るとそのまま髪を切り、出家して当時の北インドの中心であるマガダ国に向かいました。
この時カーリーヘアーの仏陀(ブッダ)は短く髪を切ったあとがクルっと短くまとまりました。

この髪の様子が現在仏像に見られる螺髪です。

アヌービアの森のパールガヴァ仙人の下で7日間暮らしました。

そこにいた数人の苦行者も、太子の悩みを解決するのには何の役にも立ちませんでした。

彼らの考えは、「来世の安楽を得るために、現世の苦行をする」と言う個人主義的なもので、シッタルダが望む「人間の苦悩を解脱(げだつ)し、多くの人の心を救」おうとする願望とはまったく異なっていました。

太子の出家の報により、王宮は大騒ぎになっていました。

チャンナは、太子に言われた通りに、「生・老・病・死の苦悩を乗り越えるために苦行林に入」り、「今こそ、正法(しょうほう)を求める時と思い定めた」ことをシュットダナ王に伝えました。

王は、すぐに祭祀長や政務長官らの捜索隊を出しました。

捜索隊は太子に追いついて太子の説得に努めたましましたが、太子の決意は固く、シッタルダは、「父王の慈愛はよく知っていますが、地上の王でなく、人間の心を救う王となりたい」ことを告げます。

「人間は、いつかは死によって別れなければならない。憂苦の生ずるのは親子間だけではない。」、
「太子の地位にいて、五欲に従うのは望みではない。王宮で、解脱を修めるのと同時に、王の道を修めることは不可能である」と告げました。

太子の心が堅かったので、捜索隊は王宮へ戻っていきました。