仏陀(ブッダ)の生涯(10)求道苦行(ぐどうくぎょう)(3)

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“悟り”とは仏陀(ブッダ)になること

彼女は、彼に”悟り”について尋ねました。

シッタルダは次のように答えました。

「生きとし生けるものはすべて、流転輪廻(るてんりんね)の生涯を未来永劫に続ける運命を持っています。」

「生まれ、生き、やがて死ぬが、あの世でも生き苦しみ、前世の因縁によってこの世に生れ変わり、この輪廻は果てしなく続き、生れ変わるのは人間とは限らない」

「修行者は、おそろしい輪廻の中で生き続けている人生のまことの姿を見極める為、欲望を捨て、貪欲を去り、悩みや怒りや悲しみやおそれを忘れ、心を平成に保ち、知恵を磨き、思索して、輪廻の濁流を超え、真理の彼岸に渡ることを念願しています。」

「真理をとらえることを”悟り”と言い、正覚(しょうがく)を得るとも言います。」

「悟った人は”仏陀(ブッダ)”とあがめられ、輪廻の実相を悟った聖者は生死を超越しているから、輪廻のおそろしい世界からも超越し、生れ変わるとことはありません。」

「聖者は永劫の輪廻の過程での究極の到達点であり、これが最後の人生で、後生へ生き返ることはありません」

「”悟り”とは仏陀(ブッダ)になることであり、修行者はそれを最終の目標としています」

ということをを説きました。

クンカパーラーは、「悟りとは、各自帰る家があって、そこに家族がいることだ」と理解したのかもしれません。
自らのなすべきことを見つけること。
それが悟りだと思いました。

クンカパーラーはすべてを理解したわけではありませんでしたが、自分の家族がシッタルダの修行を妨げたことを悲しみました。

シッタルダは彼女の涙を拭って、彼女が自分の罪を悟ったこと、その清純な心を忘れないように語りました。

家に帰り、父や姉達に「私の言葉を伝え、世俗の欲望を追う事を忘れ、永遠の幸福と心の安静を願うように」とクンカパーラーにいいました。

シッタルダは、川辺の菩提樹の樹陰で瞑想を続けていました。
真理を求めも苦悩からの解脱の道を探り、苦行の道を歩み続けて、既に7年が過ぎていました。

沈思黙考の中、シッダールタは12月8日の明けの明星輝く時、シッタルダは、ふっと目を開きまだ暗い空を見上げると、暁の明星が輝いていました。

その星の光を見つめた時、シッタルダの心に閃くものがありました。
長年、思索に思索を重ねて追求してきた真理を得たのです。

全ての人々を救済する真実と知見(大悟・解脱)を得て、仏陀(世尊)と成ら
れました。

この時釈尊は35才(30才)、この日を成道会〈ジョウドウエ〉といいます。

尚、仏典では、この日までの姿を菩薩とし、大悟以後を釈尊(仏陀)と区別し
て説いています。

仏陀が悟られたものは「苦の根本は何か。全ては縁起の道理によって生じ滅する」という縁起の大法則でした。

仏教では、これを「三法印・四諦・八正道」等の言葉で説き示しています。