有為転変(ういてんぺん)
因縁和合によってつくられた生滅変化する諸現象。
無常で変遷するもの。
これらの現象または存在は一瞬もとどまることなく移り変っていくことです。
この世のことを「有為転変の里」とも。
有為転変は世の習い
読み(ひらがな)
ういてんぺんは よのならい。
意味
全ての物事や、出来事は、常に移り変わっていくことが、この世の中の 決まりごとのようなものである、ということ。
解説
「有為(うい)」という言葉は、仏教では、よく使われる言葉で、 「有為転変(ういてんぺん)」も仏教語のひとつのようです。 よく耳にする、「諸行無常」とほぼ、同じような意味で、 この世の、はかなさを言った言葉のようです。
有為=「うい」と読み、仏教的には、いろいろな原因と、まわりの 影響(えいきょう)などが、作り出す、全ての物事をいう。
因縁(いんねん)によって生じる物質現象。
転変=「てんぺん」と読み、全てのものが、激しく移り変わること。
世=世の中。たくさんの人が、互いに助け合いながら、形を作っていく社会や、 生活の場。
習い=いつものように、普通に起きる、あたりまえのこと。常。
因縁=「いんねん」と読み、直接原因と、間接原因または条件によって、生じる現象。 仏教の基本的考え方の一つ。
はかなさ=たよりにならなく、長続きもしなく、すぐに消えてしまいそうな、 弱々しいこと。
仏教の教える真理を示すものとして「諸行無常。(しょぎょうむじょう) 諸法無我。(しょほうむが) 一切皆苦。(いっさいかいく) 涅槃寂静。(ねはんじゃくじょう)」があります。
「諸行」は「有為」と同じであり、作られたものを意味します。
これらを訳すと「もろもろの作られたもの、この世のあらゆる存在、現象は永遠の存在ではなく、過ぎ去るものである。
これは生じては滅びるという性質、さだめをもったものである。生じては滅びるという境地や状態が、滅び去ってなくなると、そこには静かな寂滅の境地が現れる。
それこそが真実の安らぎである。」ということです。
これを歌として作られたのが「いろは歌」で、「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」。
超越してゆかねばならないこの無常の世界が、ここでは「有為」の奥深い世界にたとえられています。
「諸行無常」との違い
「諸行無常」には「世の万物は常に変化・生滅し、永久不変なものはないということ」といった意味があります。
そして、この語と「有為転変」の使い方を比較すると以下のようになります。
「諸行無常」:「散りゆく落ち葉に諸行無常を感じる」(散りゆく落ち葉を見て、この世のすべてのものは存在しては滅び、いつまでも変わらないものなどないのだということを感じる)
「有為転変」:「有為転変は世の習い。今あるものがこれからも当たり前に続いていくと思うものではない」(すべてのものは移り変わるのが世の常だ。今あるものがこれからも当たり前に続いていくと思うものではない)
「諸行無常」は「世の中のすべての存在は変化・生滅(生と死)し、変わらないものはないということ」
「有為転変」は「世の中は一定ではなく移り変わるということ」を表すというニュアンスの違いがありますね。