仏教のことば:「浮世(うきよ)」

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浮世(うきよ)

憂世とも書く。
憂いと苦悩にみちた世の中、定めのない現世をいいます。

〔憂き世(つらい世の中)と浮世ふせい(はかない世の中)の二つの意味が重なり合った語〕
① つらくはかないこの世の中。変わりやすい世間。 「 -の荒波」
② 今の世の中。俗世間。現世。 「 -の義理を果たす」 「 -のしがらみ」
③ 名詞の上に付いて、当世の、現代風の、好色な、の意を表す。 「 -草子」 「 -人形」 「 -絵」
④ 男女の恋情。情事。色事。また、享楽的で色事を楽しむ遊里。 「心の慰みは-ばかり/仮名草子・恨の介」
浮き世・浮世(読み)うきよ
大辞林 第三版の解説より引用


人生には、とかく苦悩が多いですよね。

心の持ち方で何とか乗り超えてはいますが、住みにくい世の中であることは、いつの時代の人々も感じていたようです。

それを称して古人は「憂き世」といったのですが、そうした受け止め方を、仏教では「厭離穢土」(おんりえど)と表現し、苦しみの多い現世を脱却しようという意味です。

中国には、常に転変流動しつづけ、安定しない世の中ということで「浮世」(ふせい)という言葉があり、それが日本に伝わって「浮き世」と読まれるようになったとも言います。

同じ読み方ではあっても「憂き世」とは、多少意味合いがが違いますが「定めなき世」という解釈はどちらにもありますね。

この世はすべて変化し続けていて、瞬時もとどまることのない世の中であるというのが「浮き世」の本来の意味だと思います。

「浮世」の語源は、確かに仏教的な厭世観から来ていますが、江戸時代中期からは、もっぱら「世間一般」の意味で使われており、名詞(草紙、絵など)の上につけば「当世の」「今風の」「風流」「好色な」という意味になっています。

「世間一般」の意味では、例えば、「浮世の風が身に沁みる」などと使われています。

仏教的厭世(えんせい)観を背景に現世を「憂し(=つらい)」と見る「憂き世」が本来の意。そこに漢語の「浮生(ふせい)(=定めない人生)」「浮世(ふせい)(=定めない世)」の意が加わり「浮き世」とも書かれるようになった。

近世になると厭世観の裏返しで享楽的に生きようとする気風が広まり「楽しむべきこの世。享楽の世。」や「遊里。遊里での遊び。好色。」で用いられるようになったようですね。