仏教のことば:「阿号(あごう)」

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阿号(あごう)

能の観阿弥・世阿弥、水墨画・連歌の能阿弥、書院造の相阿弥、作庭の善阿弥、立花の立阿弥、美術品鑑定の千阿弥など、名に阿弥がついています。

名前の下に「阿弥陀仏」略して「阿弥」「阿」をつけるのを「阿弥陀仏号」略して「阿号」といいます。

これは、法然上人から念仏の教えを聞いて感銘した俊乗房重源が、みずから南無阿弥陀仏を名としたところから、浄土宗や時宗などでよくつけられ、中世以降は、仏工・画工・能役者など、芸能関係者が好んで用いました。

昔、筒井順昭が病死したとき、嗣子の順慶がまだ幼かったので、敵から攻められるのをおそれて、遺言により、声が順昭とよく似ていた南都の「木阿弥」を寝所に寝かせ、順昭が病気で寝ているように見せかけました。
そして順慶が長ずるに及んで、順昭の喪を発表したと、『天正軍記』は紹介しています。

順昭の代役を勤めた木阿弥は、もとの市人に帰っていきました。
今では諺になっている「元の木阿弥」の語源です。

一度よい状態になったものが、再び以前の悪い状態に戻ること。また、それまで積み重ねてきた努力や苦労が無駄になること。

戦国時代、筒井順昭が病死したときに子の順慶が幼少であったので、順昭の声に似ていた盲人木阿弥を影武者に立てた。順慶が成長してのちに順昭の死を公にし、木阿弥はもとの身分に戻ったという故事から。

Wikipediaより引用

順昭は死の間際に家臣を集め、子の順慶への忠誠を誓わせるとともに、敵を欺くため、自分と良く似ている木阿弥(もくあみ、黙阿弥とも)という奈良の盲目の僧を影武者に立て、3年間(資料によっては1年間、あるいは子の順慶が成人するまで)死を隠すことを命じた。木阿弥は身代わりの間、贅沢な暮らしができたが、筒井家臣団が順慶の下で体制を整えなおした後に奈良へ帰され、元のただの僧の木阿弥に逆戻りした。このことから「元の木阿弥」という故事成句が生まれたといわれる。