仏教のことば:「根性(こんじょう)」

スポンサーリンク

根性(こんじょう)

気力の本を根、善悪の習慣を性といいます。
「根性」とは、そもそも仏教用語です。意味は、「仏の教えを受け入れる事ができる心の状態」を言います。


一般に使われている「根性」には、二つの意味があるようです。

一つは、その人の生まれつきの根本的な性質で、心根(こころね)や性根(しょうね)と同じ意味ですが、「根性悪(わる)」「ひがみ根性」「根性まがり」果てには「根性をたたき直せ」など、どうも悪いニュアンスが漂っているようです。

二つは、厳しい訓練にもくじけない強い気力をさしています。

仏教では、仏の教えを受ける者としての、宗教的素養、能力や性質のことを根性といいます。

根性には優劣があって、仏はその人の根性に応じて、教えの内容や説法の仕方を変えたといわれています。

「すばらしい根性をもっている」とか「根性がくさっている」などと、あらゆるところで使われている「根性」という言葉は、日本人の好きな言葉の一つでしょう。
「根」は気力の源である素質のことです。

「根本」「根幹」「根気」などと使われるように肝心かなめの意味をもっています。
「性」は誰もが心の奥底に備え持っている性質、心のことです。
この「根性」がしっかりしていないと何をやってもモノにならず、進歩も向上もできません。
草木が健全に育っていくためには、地中の根がしっかりしていなければならないのと同じです。
美しい花を咲かせ、立派な実を結ぶためには、大地にしっかりと根を張らなければなりません。
人間の根性も、いいかえれば草木の根にあたるわけです。
成長過程の上で根性がしっかり養成されていないと、その人の人間性も疑わしくなり、心がすさび、荒廃した人間ができあがるのではないでしょうか。

根性を練磨することが、学問や知識を得ることよりも先決で重要だということになると思います。