仏教のことば:「挨拶(あいさつ)」

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「挨拶(あいさつ)」

挨拶という言葉は、仏教語です。
挨は「押す」ことです。
拶は「せまる」という意味から、挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出ることをいいます。
「一挨一拶(いちあいいつさつ)」といって、師匠が門下の僧に、または修行僧同士があるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。
これが挨拶です。

そこから転じて、現在のように、やさしく、応答とか返礼、儀礼や親愛の言葉として使われるようになりました。

これは以前にも記事にしたのでご存じの方もいますが、もう一度

挨は「押す」こと。拶は「せまる」という意味

「一言、ご挨拶を申し述べます」などいろんな場面でよく聞かれる言葉です。

挨拶状などという手紙が来たりもします。

ちょっとすごんで「挨拶してやるぞ」とか、冷たく「ご挨拶ですね」とか、
「挨拶」という言葉は今では日常用語になってしまいました。

挨拶という言葉は、もともと仏教語なのです。

「挨」「拶」の漢字のもともとの意味
「挨」・・・「押す」、
「拶」・・・「逼(せま)る」

漢籍(鶴林間道篇)には「士庶挨拶す」と書かれています。
意味・・・「前にあるものを押しのけて進み出る」
「群集が押し合って前に出ようとする」

『盤珪禅師語録』・・・播州の禅宗・龍門寺在住の盤珪永琢という高層の法話などを記録したもの
「一挨一拶」・・・禅のことばとして使われています。
「挨拶」・・・・・世俗的な「あいさつ」の意味で使われています。
挨は「押す」こと。拶は「せまる」という意味から、挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出ることをいいます。

禅家では、「一挨一拶(いちあいいつさつ)」といって、師匠が門下の僧に、または修行僧同士があるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。

これが挨拶なのです。

そこから転じて、現在のように、やさしく、応答とか返礼、儀礼や親愛の言葉として使われるようになりました。

在家一般で「あいさつ」ことばが活発に使われるようになり、「あいさつ」の動作を総称するため、禅宗の仏教用語である「挨拶」と言うことばを使うようになったということでする。

よそのお宅を訪問したとき、黙って入る人はいないでしょうし、帰るとき無言で立ち去る人もいないでしょう。

心を開きあい、ふれあってこそ人間関係は成り立ちます。

家族の間でも挨拶ひとつせず、心を開かず、ふれあわずという家庭には、とかく問題をかかえている場合が多いようです。

家庭内での挨拶には「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「いってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「おかえり」「おやすみ」の八つくらいしかありません。

明るく円満な家庭のバロメーターは、家庭内で挨拶が交わされているか否かによるといってもいいと思います。

健全な子どもを育てる第一歩は、朝の「おはよう」から挨拶しあうという基本マナーを習慣づけることから始まります。

人間関係すべて挨拶に始まって、挨拶に終わるといいます。

まずは親から。