仏教のことば:「愛敬(あいきょう)・愛想(あいそ)」

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愛敬(あいきょう)・愛想(あいそ)

「男は度胸、女は愛敬」とか、「愛敬をふりまく」など、愛敬といえば、にこやかでかわいらしいことや、愛想のよいことを意味する言葉として知られています。

この愛敬は本来「愛敬」と書き「アイギョウ」と読んで仏教語でした。
愛(いつく)しみ敬(うやま)うことを意味したのです。

仏や菩薩の容貌は穏和で慈悲深く、拝む人たちが愛敬せずにはおられない相を表しておられるので、その相を愛敬相といいます。
愛敬は、その愛敬相から来たものです。

また、「愛敬がよい」とか、「愛想が尽きた」などと使われている愛想という語も、本来は「愛想」で、そのもとは同じ愛敬相から出た語のようです。

同じ愛敬相から、愛敬と愛想が生まれ、そうれが、愛敬と愛想となっていったようですが、いずれも、もとは仏さまのお顔の相だったのです。

愛嬌の意味・使い方

愛嬌(あいきょう)は「愛敬」と書かれることもあります。

意味は、「人から愛され敬われること」と「顔つき・振る舞い・性格などが、優しく愛らしいこと」です。

今は後者の「優しく愛らしいこと」で使われることが多いですね。

例:彼女は、愛嬌のある顔をしている。例:彼は、どことなく愛嬌があって、憎めない。

他にも、「ご愛嬌」の形で、「好ましさ・笑いを誘うような言動や表情」という意味で使われることもあります。

例:彼女からの手紙に誤字があったんだが、まあ、これもご愛嬌だ。

愛想と愛嬌の違いは?

「愛嬌」は、身についた愛らしさ、かわいらしさ、憎めないようすを表していますが、「愛想」は、「愛想笑い」などのように、人にいい感じを与えるために意識的に行う態度や動作を表しています。

「愛嬌のない(ある)人」「愛想のない(ある)人」のように、両方に共通の表現もあれば、「愛想が尽きる」「愛想笑い」のように、「愛想」だけに適応した表現もあります。
振りまくのはどっち?

では、次は、どちらが正しい言い方でしょうか?

A 彼女はみんなに愛想を振りまいている。
B 彼女はみんなに愛嬌を振りまいている。

正解はB。「愛嬌を振りまく」が本来の言い方で、「愛想を振りまく」という言い方は、間違いとされています。

ただし、日本語学者の飯間浩明さんは、ご自身のブログ(きょうのことばメモ・2006年)で「愛想を振りまく」も以前から使われていたと、多くの用例を挙げてご指摘されています。

言葉については、何をもって「誤用」とするのかという判断は本当に難しいと思いますね。