仏教のことば:「加持(かじ)」

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加持(かじ)

加は加被、持は摂持の意味です。
仏日の影が衆生の心水に現ずるを加、行者の心水よく仏日を感ずるを持といいます。
仏の絶対慈悲が信者の心に加えられて、行者が信心によってその慈悲を感得することです。
仏の加被、つまり仏さまの威力によって、仏道修行が進むように祈ることです。

仏教用語。所持,護念ともいう。仏の大慈悲心が人々に加わり,人々の信心に仏が感応してお互いに感得し合い道交すること。また,祈祷を通して仏力を信者に与え,信者はその仏力をおさめ保つことができるから祈祷を加持ともいう。現在は病人加持,帯加持など,現世利益の祈祷として流布している。

一般的には加持と祈祷は同じ意味に使われていますが、仏教では加持と加護が同じ意味に使われ、加持と祈祷は少し異なります。

加持の原語には、寄りそって立つ、住処、などの意味があります。仏様が信仰する人=信者の素質に応じて働きかけることが加、信者が仏様の力を受けとめ持つことが持、相応し関わりあうことで加持となります。

加は相互加入で、入我我入にゅうががにゅうで、加持は成り立ちます。仏様を自分の中に引き入れることが入我、自分が仏様の中に入ることを我入といいます。

双方が相応一致することで、栄養を吸収するように、仏様の力を信者が受け取り、本来持たない力を発揮することが可能となります。

祈祷は霊験やご利益などを願う、祈りそのものです。

いろいろな加持

五処加持 万能的に行われる加持で、本来具えている五智の功徳を顕わすために、額、両肩、心、頭頂または喉の五ヶ所に印や杵鈴しょれいなどで加持します。

土砂加持 土砂を真言によって加持し、その土砂を撒くことによって病や災いを除いたり、亡くなった人を極楽の世界に導いたりします。

牛黄加持ごおうかじ 牛王加持とも書きます。安産の加持です。

帯加持 安産のための岩田帯に加持します。

刀加持かたなかじ 魔性のものを払うため、刀をお不動様の利剣と観想して加持します。武具に対する加持も刀加持と呼びます。

その他、虫加持、病人加持、井戸加持、洪水、干ばつ、天変地異、土木事業など、個人的なものから公的なものまで、さまざまな分野のものがあります。

「加持」というと、現代では、加持祈祷という言葉で使われることが多く、僧侶や行者に祈ってもらって、家内安全や商売繁盛など、現世利益を願うのが一般的日本人の考えでしょう。

空海の言う「加持」は意味が違います。

空海の著書『即身成仏義』には、

「仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく」

とあります。

仏の姿が人の心の水面に映るのが「加」、修行者の心が仏を感じ取るのが「持」です。

加持は、仏を感じ、仏と一体となり、自身が仏となる密教の思想と手法を現しているいます。