仏教のことば:「伽陀(かだ)」

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伽陀(かだ)

梵語ギャーターの音写。
諷頌、偈、偈頌と訳す。
韻文体の経文。
長行部の趣意を再び韻文で表わした応頌と区別して孤起頌といいます。
また法会の時、一定の曲譜をもって諷誦する偈頌。

仏教用語の一つ。経典などにおいて、仏徳への賛辞、教理、仏教の真理などを詩の形式で述べているもののこと。

伽陀は、サンスクリット語のgāthā (ガーター)の音写で、漢訳では「偈頌」「諷誦」と訳されています。法事などの時に独特の節をつけてお勤めの前に用いたり、大きな法要の中で使われます。

この伽陀は「先請伽陀」とよばれており、善導大師の著された「法事讃」の中にある韻文です。また「大経伽陀」ともよばれ、仏説無量寿経(大経)を読誦する時に用いられています。

真宗大谷派の法事では最初に吟唱する特定の「ガーター」(韻律)を指して「伽陀」と呼称しています。

儀式の最初に、導師(中心となる僧)の着座を告げる意味があります。
ですから、何よりも最初に伽陀を発声するのです。

(原文)

(よく用いられる伽陀)
先請弥陀入道場
不違弘願應時迎
觀音勢至塵沙衆
従佛乗華来入會
(意訳)
先ず阿弥陀如来に請い奉る。道場に入りたまえ。
かねてからの誓いに違わず、時に応じて迎えたまえ。
観音菩薩と勢至菩薩と塵沙のごとき聖衆たちよ。
仏に従って覚りの花びらに乗って来て、この集会に入りたまえ。

これを、「呼び出し」などと呼ばれています。

莎伽陀(しゃがた)という弟子

お釈迦様ご在世の時の事です。
インドのある国に、獰猛な悪龍がいたとされます。
盛んに暴れ回って、村民を痛めつけ、牛馬を荒らし、残忍の限りを尽くす。
村民や家畜はもとより、鳥までが恐れて、飛ばなくなったと評判でした。

そこで、お釈迦様のお弟子の莎伽陀が、村人の難儀を救わんと、神通力を駆使して悪龍を征服し、悪龍は遂に、仏弟子にまでなったとされます。
国中に、莎伽陀の雷名が轟いた事でしょう。

ところがある時、信者から酒をご馳走になり、ついつい、莎伽陀は飲み過ぎました。

夜更けの帰途で、道端に倒れ、汚物を吐くやら、苦しむやらで、大醜態を晒したのです。
直ちに弟子達を一堂に集められたお釈迦様は、次のように諭されました。

「皆の者、莎伽陀を見よ。
彼は、かの悪龍を征服した程の智者ではあるが、酒に征服されて、かくの如き始末である。
聖者ですら酒を飲んでは、かくの如し。
況や、凡人は厳に身を慎まねばならぬ。
今後、酒を飲む事を禁ずる」

これが、仏教に、飲酒を禁じる不飲酒戒(ふおんじゅかい)が制定された訳であると伝えられます。

飲んでいたつもりが、いつの間にか飲まれている。
そこに酒の怖さがあるのですね。

「酒は飲んでも飲まれるな」と言われているゆえんです。