中道(ちゅうどう)
極端な享楽や、極端な苦行にかたよらない中正な仏教の実践の立場。
執着を離れ,正しい判断をし,行動すること。
(1) 苦と楽いずれにも偏しない実践法である八正道 (はっしょうどう) のこと。
(2) 断滅論と常見論を離れた非断非常の理法のこと。
(3) 中観派でいう空の理法のこと。
この理法は縁起 (えんぎ) であり,相対的に対立している諸概念のうちのいずれか一方に執着しないことを意味する。
(4) 法相宗では有と空に偏しないこと。
(5) 天台宗では諸法実相のこと。
(6) 華厳宗では法界 (ほっかい) のことをいう。
お釈迦様が菩提樹で成道して、初転法輪で始めて説法した内容に「四諦・八正道・中道」が語られています。
中道(ちゅうどう)とは、偏った両極端ではない中間の道と仏典にでてきます。
欲望にどっぷりふけるべきでも、苦行に熱中するべきでもなく、両者を離れた中道と解説されてでてきます。
この中道の境地は八正道(はっしょうどう)の実践をすれば得られる境地と書かれています。
「八正道」で得られる境地が「中道」
正なる道の正道や、八聖道とも表現されます。七科三十七道品にも含まれている修行方法です。
八正道・はっしょうどう
正見(しょうけん)
正思惟(しょうしゆい)
正語(しょうご)
正業(しょうぎょう)
正命(しょうみょう)
正精進(しょうしょうじん)
正念(しょうねん)
正定(しょうじょう)
こころには一つの気持ちしか入りません。むさぼる気持ち、怒りの気持ち、悪い煩悩の感情が一度こころの中で生起してしまうと、十二支縁起のこころとからだの縁起の連鎖で、三毒が執着の渇愛になり増大して、悪い気持ちの三毒が自分のこころを占領して、自分自身を飲み込んでしまいます。
経典の中には、執着を手放す、捨て去る、とよく表現されて出てきます。
こころの中の悪い煩悩の怒りや貪りの気持ちを、五禅支で取り除いていく色界の四禅の瞑想の修行。悪いこころが芽生えたら悪いこころをとめて、善いこころを広げていく七科三十七道品の四正断の実践も教えられています。
こころの在り方を、悪い煩悩のこころから、善いこころに置き換えることが経典には一貫して書かれています。
お釈迦様は悟りを開かれた後、5人の修行僧に一番最初の説法をされました。
これを初転法輪(しょてんぽうりん)と言われており、その中のテーマの一つが中道でした。
当時の修行者は体を傷めつけるような苦行をすることによって悟りを得られると考えられていましたが、お釈迦様は自身の苦行によって苦行では悟りを得られないことに気づき、またその逆の自分の思った通りの不自由のない生活すなわち快楽によっても悩みが取り除かれないことを経験しています。
どのような内容だったかは正確には分からないそうですが、おそらく欲望のおもむくままに快楽に耽る生活と心身への苦行による修行をともに否定して、その両辺に偏らないこと(中道)が悟りに至る方法だと説明したのでしょう。