仏教のことば:「鬼神(きしん)」

スポンサーリンク

鬼神(きしん)

目に見えない、超人的な怪力を発揮するもので、善鬼神と悪鬼神とがある。
帰命頂礼(きめょうちょうらい)
自分の身命をなげだして全面的に仏を敬順することです。

鬼神【きじん/きしん/おにがみ】とは、神々でも荒々しい神格を持った存在のことです。

概説 鬼神という言葉は、民間信仰から仏教まで多岐にわたって使用されており様々な意味を持つ。 “鬼”とつくように、凶暴な荒ぶる神に対する呼称として使われています。

人生には色々なことがありますね。仏教の神仏の中にも、意外と濃い人生を送っている方が多く存在していました。中でも変動が激しいのが、鬼神とされる面々です。

鬼のイメージの元でもあります。

夜叉というと怖いイメージがあるでしょう。
創作物などでは「鬼」の代名詞のように使われることも多々あります。
阿修羅同様、元は完全に悪者ではありませんでした。元はヤクシャ(女性はヤクシニー)という名前で、二面性のある鬼として描かれました。
つまり、人を食う面と救う面です。大元は森の精霊で、自然の持つ恐ろしさと恩恵が、ヤクシャという鬼神一族の元となったの拿個しれません。
仏教に入ってからは毘沙門天(インド名クベーラ)の元、護法神として活躍中です。

夜叉と同じような出自の鬼神として羅刹が挙げられます。こちらもまた自然物に宿る精霊でした。
元はクベーラに仕えていましたが、その弟のラーヴァナが兄弟喧嘩の果てに勝利。ラクシャサたちはそろってラーヴァナの部下となり、神々と戦う羽目になりました。
このラーヴァナという神様、10個もある頭を切り落として燃やす苦行を決行する、シヴァ神の住処を揺らす、他の神様の戦車を強奪する、人妻をさらうなどやりたい放題のやんちゃ神でした。この神に仕えていた為か、ラクシャサも人食い鬼とされるようになります。
仏教に入ってからはクベーラ改め毘沙門天の眷属に復帰。共にご方針となりました。
しかし恐ろしい鬼のイメージがあまりに強かったので、地獄で亡者を懲らしめる役を仰せつかります。悪党をも簡単に懲らしめると言うわけです。
ちなみに、羅刹のかつての主、ラーヴァナは冥界の神々、ヤマにも戦いを挑みました。ヤマは仏教では閻魔様と呼ばれています。

恐ろしいイメージのある鬼、鬼神ですが、その根底には時代や人々の心の変遷がありました。

「この神様を勝たせるために、こっちを悪役にしよう」という点が少なからずあるのが神話です。

そんな人間の心境の移り変わりが、何だか鬼より怖くもあり、また面白くもありますね。