仏教のことば:「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」

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祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)

中インドの精舎。
スダッタ長者が釈迦とその教団のために建てた僧坊。
祇樹給孤独園に建てられたので祇園といいます。
多くの説法がここでなされた。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる平家物語は、
日本人なら誰しも一度は聞いたことがあると思います。

「祇園精舎」とは、祇園に建てられた精舎、ということです。

「祇園」とは、約2600年前、インドのコーサラ国(拘薩羅国)の祇多太子(ぎだたいし)が所有していた林で、祇樹(ぎじゅ)ともいいます。
「精舎」とはお寺のことで、祇園精舎は、ブッダが説法をされた代表的なお寺です。

正式には祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)ともいいます。

5世紀初め、中国からインドへ行った三蔵法師、法顕(ほっけん)の『法顕伝(仏国記)』によれば、コーサラ国の首都の舎衛城(しゃえいじょう)の南門から南へ1200歩のところにあったといいます。

門の左右に柱があり、周りの池は清らかで、樹木が生い茂り、色々な花が咲いていたそうです。

ところが7世紀の三蔵法師、玄奘(げんじょう)の『西域記』によれば、城の南5から6里に祇園精舎があったそうですが、すでに荒廃していたとあります。

平家物語の一番最初に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とあるのは、もともとは平安時代の天台宗の僧侶、源信僧都(げんしんそうず)の『往生要集』にこのようにあります。

「諸行は無常なり。
これ生滅の法なり。
生滅滅しをはりて、
寂滅なるを楽となす」
祇園寺の無常堂の四の隅に、頗梨(はり)の鐘あり。
鐘の音のなかにまたこの偈を説く。
病僧音を聞きて、苦悩すなはち除こりて、清涼の楽を得ること、三禅に入り浄土に生れなんとするがごとし」

この「祇園寺」というのが祇園精舎です。
祇園精舎には、無常堂という建物があって、祇園精舎で修行していた僧侶が病気になり、死期が近づくと、そこに移されました。

無常堂の四隅には、はりというガラスか水晶の鐘があり、その透き通った音色からは、『涅槃経』に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」と説かれる有名な無常偈(むじょうげ)が聞こえます。

『涅槃経』に説かれる雪山童子は、命をかけてこの無常偈を求め聞き、さとりを開いたように、病の僧侶も、この無常の説法を聞いて、苦しみが除かれ、浄土へ生まれるような喜びが起きるということです。

このことを、平家物語の冒頭に、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
と言われているのです。

祇園精舎とは

祇園精舎とは、インドの舎衛国にあった僧院で、釈迦の説法の多くが行われた場所とされています。

須達長者が、釈迦とその弟子のために寄進した寺で、中インドの舎衛城の南に旧跡が残っています。

祇園は、祇樹給孤独園の略で、もとは祇陀太子の林園だったことや、須達長者が給孤独と呼ばれていたことからその名前がつきました。

須達長者は、日頃から孤児や老人を憐み、衣食を与えていました。釈迦の教えに帰依し、祇園精舎を建設するのにふさわしい土地を見つけると、地主の祇陀太子から購入するために、敷地を金貨で埋め尽くしたと言われています。

祇園精舎のあった場所は、サヘートと呼ばれていて、釈迦が説法した場所や滞在した建物の遺跡などが残されています。

祇園精舎が完成すると、釈迦はコーサラ国の祇園精舎とマガダ国の竹林精舎という二カ所を拠点に布教を開始しました。祇園精舎と竹林精舎は二大精舎と呼ばれています。釈迦は人生の後半をここで過ごしました。

竹林精舎が質素なつくりであったことに比較して、祇園精舎は壮大華麗な建物だったといわれています。