仏教のことば:「頭陀袋(ずたぶくろ)」

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頭陀袋(ずたぶくろ)

衣食住の三つについての欲望を打ちはらう修行を頭陀行というが、この行に必要な最低生活の道具を入れて首にかけて歩く袋をいいます。


頭陀袋とは、僧侶が托鉢をする際に首からかける袋のことですが、葬儀の際に死者の首にかけることもあります。

「頭陀袋」について、ズダ袋と読まれる場合とズタ袋と読まれる場合があります。
「陀」という漢字は単体では「ダ」と「タ」の両方の読みがあるのですが、
「頭陀」は仏教用語で「ずだ」と読むため、「ズダ袋」と読むのが正しいようです。

仏教の信者にとって重要な6つの修行を、六波羅蜜といいます。

その修行の中では、規律を尊び、施しを行い、努力を惜しまず、耐え忍び、落ち着きを保ち学ぶことが重要とされています。

施しには財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)という3種類の修行があります。法施は僧侶が念仏を唱えたり、教えを広めたりする修行のことです。

無畏施は人の心の中にある恐怖や不安などを取り除き、安心させることです。財施は欲しいと思う心や恩にきせる心から離れて、お金や物を必要とする人に与える修行のことです。この財施こそ、頭陀袋が大きく関わっている修行です。

頭陀袋の「頭陀」というのは、衣食住に対する欲を捨てる修行で、人里離れた静かなところに住む、乞食を行うというように、定められた規範の中で暮らします。頭陀袋はこのような修行僧が経典や仏具などの必要品や、托鉢でもらったお金や食べ物などの施しものを入れる袋のことです。

托鉢というのは、僧侶が街を歩いてお布施(喜捨)を受ける仏教の修行のひとつで、財施に分類されます。托鉢は僧侶の修行だけでなく、お布施をする人にとっても修行になるとされています。人に物を施すということは、自分の持ち物を手放して執着を絶つことになるからです。

一方で、葬儀で死者の首にかける頭陀袋には、三途の川の渡し賃として六文銭が入れられていました。

亡くなった人の死後の世界での修行に旅立つという考え方のもと、頭陀袋がかけられるようになりました。このように僧侶と故人が同じ頭陀袋を首にかけているのは、両方とも仏教の信者で修行に行くという共通点があるからです。

また、頭陀袋は施しを含めて雑多なものが入れられる袋なので、死者が首からかけたとしても問題はありません。死者の首に頭陀袋をかけ、その中に三途の川の渡し賃を入れる風習は今も続いています。ただし、貨幣を燃やすと法律に抵触してしまうので、現在は六文銭に模したものを入れるようになりました。