仏教のことば:「声聞(しょうもん)」

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声聞(しょうもん)

元来は仏の教えを聞き、阿羅漢(アラカン)となることを目的とする仏道修行者。
大乗経典では小乗仏教の僧を指す。


仏教には大きく分けて、
「小乗仏教(テーラワーダ仏教)」と、
「大乗仏教」があります。

(→小乗仏教と大乗仏教の違い)
それぞれ実践の方法が違います。

小乗仏教の人たちには、
教えを聞いてさとりを目指す「声聞(しょうもん)」という人たちと、
中には独りでさとりを目指す「縁覚(えんがく)」という人たちがあります。

(「縁覚」は、「独覚(どっかく)」とも「辟支仏(びゃくしぶつ)」ともいわれます)
この人たちは、自分が救われないのに他人は救えない、
ということでまず自分の悟りを優先して目指します。

それに対して大乗仏教の人たちは、「菩薩(ぼさつ)」といわれ、
自分だけでなく、すべての人の救いを目指す人たちです。

「菩薩」といっても観音菩薩や弥勒菩薩のような有名な菩薩だけでなく、
本当の幸せを求める人は、みな菩薩です。

(だから、おそらくこのサイトを読んでいるあなたも菩薩です)

このように、仏教を求める人には、
「声聞」
「縁覚」
「菩薩」
と3通りの人がいます。

仏教では、この宇宙に十の世界(十界(じっかい))があると説かれます。

地獄(じこく)(怒(いか)りの世界)・餓鬼(がき)(貪(むさぼ)りの世界)・畜生(ちくしょう)(無知の世界)・修羅(しゅら)(争いの世界)・人間(にんげん)(平穏な世界)・天上(てんじょう)(喜びの世界)、この六つは迷いの世界で、六道(ろくどう)とか六凡(ろくぽん)といわれます。
悟(さと)りを得ていない普通の人(凡夫(ぼんぷ))はこの六つの世界をさまよいます(六道輪廻(ろくどうりんね))。

これに対して声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)(独覚(どっかく))・菩薩(ぼさつ)・仏(ぶつ)という四つの悟りの世界(四聖(ししょう))があります。
声聞とは、教えを聴聞する者という意味で、声聞界は仏の教え聞いて、おもに四諦(したい)を修習し、自分自身の悟りを目指す人の世界です。
縁覚界は、おもに十二因縁(じゅうにいんねん)を観じる行(ぎょう)などによって、師を持たずに悟りを得ようとする人の世界です。
菩薩界も、声聞・縁覚の二乗(にじょう)と同じく修行者の世界ですが、二乗の人たちが自分の解脱(げだつ)のみを目標にするのに対し、自分とともに他の人たちをも救い、悟りを得させることが目標であるという点が大きく違うところです。