節談説教(ふしだんせっきょう)
言葉に抑揚をつけてジェスチャーなども交え、演技的表現をとりながら聴衆の感覚に訴える情念の説教。
仏教で経典や教義を説くための話芸的技巧。
ことばに節(ふし)(抑揚)をつけ,洗練された美声とジェスチャー(身ぶり)をもって演技的表出をとりながら聴衆の感覚に訴える詩的・劇的な情念の説教である。
仏教伝来のときから行われたと推定されるが,天台宗の澄憲(ちようけん)(?‐1203)・聖覚(しようがく)(1167‐1235)父子が樹立した安居院(あぐい)流(安居院)と寛元(1243‐47)のころ定円が創始した三井寺(みいでら)派のことが《元亨(げんこう)釈書》に見える。出典 株式会社平凡社
浄土真宗の僧侶が布教のために面白い話などを交えて法話を行ったことにはじまるもので、落語などの話芸のルーツと呼ばれています。
言葉に節をつけて話すので、節談説教といわれています。
節談とは
「七五調を基調としたリズミカルな美しい表現」「見事な美声による節まわし」「説教の五段法」という特色が指摘されています。
つまり、節談とは、音韻・節付・構成そして身振り手振りの演出を駆使して、聴聞者の感性に訴える情念の布教法の極地を示すものといえましょう。
マイクのない時代、鍛えあげた音声で、日本人の感性になじむ七五調の句を連ね、そして要所要所では朗々と節をかける情念の布教は、満堂の参詣者から「ナンマンダブ ナンマンダブ」という受け念仏をよび、感動的な法座の風景をかもし出しました。
また説教の構成は「讃題・法説・譬喩・因縁・結弁」という五段法が用いられ、宗意安心を聴衆に会得させるため身近なたとえ話やお念仏に生きた高僧や先人達の物語などが挿入され、笑いや涙をさそったのす。
歴史は古く、仏教伝来の時から行われたと思われますが、発展の基盤を作ったのは天台宗の澄憲(ちょうけん)(1126-1203)・聖覚(しょうかく)(1167-1235)父子が樹立した安居院(あぐい)流が真宗に入り栄えました。
各地で隆盛だった節談は日本の語り物や話芸の成立に強い影響を与えましたが、仏教の近代化の中で戦後急激に衰退しました。
しかし、現在その素晴らしさが見直され各地で復活の兆しを見せています。
特に「聞法」を大切にする浄土真宗で高度な話芸として発展し、すぐれた説教者を輩出してきました。
戦後、「節談説教」は時代遅れとの風潮が広まり、説教は「法話」と呼ばれ、「高座」もテーブルと椅子に替わられていきました。
愛知県の祖父江省念師は「節談説教」一筋に打ち込み、師の説教はいつも満堂の賑わいでした。
俳優の小沢昭一氏や永六輔氏らも感銘をうけ、その魅力を伝えたため、昭和40年代「節談説教ブーム」がおきたほどです。