仏教のことば:「諦め(あきらめ)」

諦め(あきらめ)

どうにもならないことをくよくよと考えないで断念することを「あきらめる」といいます。

仏陀は、悟りを開かれた後、ベナレスのミガダーヤで5人の友人たちに、初めて法を説かれました。
初転法輪(しょてんぽうりん)と呼ばれているのがそれで、その説法の内容が「四諦」の教えでした。

諦とは「まこと」とか「真理」という意味で、動詞として読むときには「あきらめる」すなわち、「明らかに真実を見る」という意味です。

仏陀はその悟りの内容を、苦諦(くたい)・集諦(じつたい)・滅諦(めつたい)・道諦(どうたい)の四つの真理に分けて教え、それを見ることによって、真理を知ることができると説かれました。

諦という語は、現在のように消極的な用い方ではなく、真理を悟るという力強い語です。

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仏教のことば:「阿吽(あうん)」

阿吽(あうん)

相撲の仕切りは「阿吽の呼吸」を合わせます。
吐く息、吸う息を合わせるのです。

社寺の門前のコマイヌさんや、山門の仁王様は、一方が口を開いて「ア」、他方は口を閉じて「ウン」と、阿吽の姿をしています。

インドの文字である梵語(ぼんご)では、最初が「ア」と口を開いて出す音声で「阿」と訳され、最後は「フーン」と口を閉じて出す音声で「吽」と訳されています。

密教では、阿吽を、根源と帰着、菩提心(ぼだいしん)と涅槃(ねはん)などの象徴としているともいわれているようです。

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仏教のことば:「愛別離苦(あいべつりく)」

愛別離苦(あいべつりく)

会った者は、いつかは必ず別れなければならない時が来ます。
その別れの苦悩のことです。
四苦八苦というときの八苦の一つ。

【意味】
親子・きょうだい・夫婦など、愛する人と生別、死別するようになる苦しみのこと。
「愛別離苦」の語句の区切れは「愛別」と「離苦」ではなく、「愛別離」と「苦」です。
愛するものとの離別は苦しい、の意味になります。

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仏教のことば:「挨拶(あいさつ)」

「挨拶(あいさつ)」

挨拶という言葉は、仏教語です。
挨は「押す」ことです。
拶は「せまる」という意味から、挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出ることをいいます。
「一挨一拶(いちあいいつさつ)」といって、師匠が門下の僧に、または修行僧同士があるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。
これが挨拶です。

そこから転じて、現在のように、やさしく、応答とか返礼、儀礼や親愛の言葉として使われるようになりました。

これは以前にも記事にしたのでご存じの方もいますが、もう一度

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仏教のことば:「愛敬(あいきょう)・愛想(あいそ)」

愛敬(あいきょう)・愛想(あいそ)

「男は度胸、女は愛敬」とか、「愛敬をふりまく」など、愛敬といえば、にこやかでかわいらしいことや、愛想のよいことを意味する言葉として知られています。

この愛敬は本来「愛敬」と書き「アイギョウ」と読んで仏教語でした。
愛(いつく)しみ敬(うやま)うことを意味したのです。

仏や菩薩の容貌は穏和で慈悲深く、拝む人たちが愛敬せずにはおられない相を表しておられるので、その相を愛敬相といいます。
愛敬は、その愛敬相から来たものです。

また、「愛敬がよい」とか、「愛想が尽きた」などと使われている愛想という語も、本来は「愛想」で、そのもとは同じ愛敬相から出た語のようです。

同じ愛敬相から、愛敬と愛想が生まれ、そうれが、愛敬と愛想となっていったようですが、いずれも、もとは仏さまのお顔の相だったのです。

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仏教のことば:「愛」

「愛」あい

愛(あい)

前回までで、仏陀の教え、仏陀の生涯、仏陀の物語、仏陀の最後の旅、仏陀の意思を継ぐもの、と記載してきましたが今回から新たに「仏教のことば」として新たなシリーズを始めようかと思います。

まずは、「愛(あい)」から始めましょう。

仏教では「一切苦悩を説くに愛を根本と為す」と『涅槃経』にあるように、愛は迷いや貧(むさぼ)りの根源となる悪の心の働きをいいます。
のどが渇いたときに水を欲しがるような本能的な欲望で、貧り執着する根本的な煩悩を指します。

愛欲、愛着、渇愛などの熟語は、そのような意味をもっています。

一方、仏教では、このような煩悩にけがされた染汚(ぜんま)愛ばかりでなく、「和顔愛語」のように、けがれていない愛も説かれています。
仏菩薩が衆生を哀憐する法愛がそれなのですが、たいてい「慈悲」と呼ばれているようです。

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十大弟子について-阿難尊者(アーナンダ)

阿難尊者(アーナンダ)

阿難(あなん)

阿難、阿難陀の略。

仏陀(ブッダ)の従兄弟で出家後は持者として、生涯仏陀(ブッダ)に仕え、また仏陀(ブッダ)の法門を常に間近で聴聞し、つぶさに記憶したことから、多聞第一の尊者といわれています。

仏陀(ブッダ)滅後の法門と戒律の統一を確立するため、大伽葉尊者の提唱により、第一結集(けつじゅう)(経典編纂会議)が王舎城・七葉窟において開催されますが、多聞第一の阿難が出席資格である阿羅漢でなかったことが、問題視されます。

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十大弟子について-羅尊者(ラーフラ)

羅尊者(ラーフラ)

密行第一の羅喉羅(らごら)

仏陀(ブッダ)の実子というより、ゴウタマ・シッダルタ太子と妃であったヤショーダラ姫とに授かった子供です。

仏陀(ブッダ)は16歳で結婚されましたが、なかなか子宝に恵まれず、27歳になったとき妻のヤショーダラ姫との間にようやく授かったのが一人息子、羅尊者でした。

太子は我が子が産まれたとき、「障礙(しょうげ)生じたり」とこぼされたとされています。
既に出家を決意されていた太子にとって、子供の存在は決意を鈍らせることになりはしないか。

障礙(さまたげ)は原語でラーフラ。

それが命名のいわれです。

ちょっと気の毒な気がします。
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