仏教のことば:「有情(うじょう)」

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有情(うじょう)

梵語サットヴァの訳。
存在するもの、の意味です。
生命を持ち、感情や意識を有するもの。
一切の生きものの総称。
草木を非情とか無情というのにたいしていいます。
有仏性の意味です。

仏教において、意識があったり感情を持つ全ての生き物のこと。

有情=心を持つものは、輪廻転生で下記のような三つの世界を 行ったり来たりします。そこで少しでも良い世界へ生まれ変わるようにと、死有から生有までの中有の期間、七日ごとに供養が行われるようになりました。そして七回目の四十九日が重要な供養日となり、満中陰と呼ばれます。

むしきかい
無色界
物質的制約をも離れた高度に精神的な世界。

しきかい
色界
婬欲と食欲をはなれた生きものが住むところ。物質的な制約が残る。

よくかい
欲界
婬欲・食欲の二つの欲望をもつ生きものが住むところ。

無色界では、精神的に高度な世界なので、中有が無いといわれています。また地獄など下位の世界では、中有での存在の仕方に、それぞれ特徴があるとされています。

仏教には、この世のすべての物を「有情」と「非情」とで分ける習慣があります。

「有情」は唐の玄奘(げんじょう)三蔵が梵(ぼん)語の sattva(サットバ) を訳した言葉で、それ以前は「衆生」と訳されていました。

衆生だと、生きとし生けるもの、つまり動物だけでなく、植物も入れてしまいたくなるのだが、有情の場合はやはり動物と人間だけですが、それ以外の山川草木は、非情と呼ばれています。

「一切の有情はみな食によりて住す。」

「すべての人間は常に何かを食べることによって生きている」という意味です。

言うまでもなく、私たち人間は、様々なものを外から取り入れて生きています。

「食」には四つの種類があると説いています。

第一は、「段食」と言います。これは先に述べたような「食料」、つまり食べ物のことです。私たちがいろいろなものを食べてそれを消化したとき「食」になると言うのです。

第二は、「触食」(そくじき)と言います。

「触」とは、あるものと他のものとが接触することです。ここでは、私たちがいつも心に喜びを得るために何かと接触することを求めているという意味です。

第三は、「意志食」と言います。これはいつも自分にとって都合の良いものを求め続けることという意味です。

第四は、「識食」と言います。これは今挙げた三つの食がより多く手にはいるようにと望むことです。

私たち人間は、食べ物だけでなく心地よい刺激と自分の都合をどんどん拡大していくことを支えとして生きているのです。

ブッダは、かつて迷いのもとを断とうして極端な断食修行を実行されました。

それを放棄してスジャータの捧げた乳粥(ちちがゆ)を食べたのち、正覚を得られたのです。

正覚とは、私たち人間を支えているものを否定したところに成り立つのではないのです。だからといってそれを全面的に肯定しているわけでもありません。

ブッダの正覚が、両極端を廃した「中道」と呼ばれるのはこのようなことを指しているのです。