仏教のことば:「因陀羅網(いんだらもう)」

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因陀羅網(いんだらもう)

因陀羅は、梵語インドラの音写で帝釈天のことです。
帝尺天宮にはりめぐらされている網のことで、各結び目に珠玉がつけられ各々反映し合っている、重々無尽に交渉していることです。

インドラ神の網のこと。インドで一般に魔術の所産の意に用いられた。華厳仏教では,インドラ神の宮殿にある網で,結び目に宝玉がつけられ,宝玉同士が互いに映じ合って,それが無限に映じるとして,重重無尽の理論を説明するのに用いられる。帝網 (たいもう) ともいう。

インドラ、すなわち帝釈天の宮殿を飾っている網。その網の結び目には宝玉がついており、それぞれが互いに反映している。華厳宗の説く、すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとする事事無礙法界じじむげほつかいの比喩としてよく用いられる。

帝釈天(たいしゃくてん)の宮殿を飾る網。その無数の結び目一つ一つに珠玉があり、互いに映じあうことから、一切のものが互いに障害とならずに関連しあうことにたとえる。帝網。

用語の説明より引用

因陀羅とは、インドラ神(帝釈天)のことです。

そのインドラ神の宮殿には、宝網があって、その宝網にある無数の網の結び目には、無数の宝珠が掛かっています。

その宝珠は互いに映し合って、その映し合った宝珠が、更に互いに重なり映し合って、全ての宝珠が一つの宝珠に映り、一つの宝珠に全ての宝珠が映っているということです。

宝珠の「一」には、全ての宝珠である「多」が交映しており、また全ての宝珠の「多」には、全ての宝珠の「一」が交映しているということで、「一即一切、一切即一」・「一入一切、一切入一」「一即多、多即一」のありようを説明したものになっています。

Webの概念は因陀羅網のたとえに似ています。

クモの巣のように世界中に張られているインターネットは一つひとつの端末が世界に向けて開かれたものであり、お互いにつながっています。こうした無限連鎖の様相は因陀羅網の無尽縁起という思想に類似していますね。

相違性もあります。

因陀羅網は内省的受動的ですが、Webは能動的攻撃的であるという点です。

因陀羅網のたとえは、この世の中にある全ての存在が、それが生きとし生けるもの、否、山川草木のような自然的存在も含めて例外なく、お互いに縁起の関係にあるということです。

つまり影響し合っていることを教えており、だから人間はこの無限縁起の思想を弁えて生きていきなさいと教えています。

因陀羅網の宝珠は絶対に隠れたり姿を隠したりはできません。

隠れたら隠れたことが映しだされます。

Webでは隠れることが可能です。

それが大きな問題を引き起こすことにもなっています。

この問題はインターネット時代におけるモラルの確立ということになるのでしょうね。