仏教のことば:「声明(しょうみょう)」

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声明(しょうみょう)

経典の文句や、和讃などを、仏前で一定の音律により唱えることです。

僧侶が節を付けて唱えるお経や、仏さまの徳や慈悲を讃えて伝統的な節を付けて歌う讃歌などを、古代インドではガータと言い、中国や日本では現在も「梵唄(ぼんばい)」と言っています。

(1)サンスクリットのシャブダ=ビディヤーの訳。
インドで学問区分に関する五明の一つ。
言語・文字・音韻に関する学問で,中国では悉曇(しったん)学もこの名で呼んだ。

(2)仏前で誦する声楽の総称。
通俗には梵唄(ぼんばい)とも。
僧侶が誦するもののみをさす場合が多い。
仏の徳をたたえた内容のもの,特別の法会の意味を伝えるものなどがある。
インドの詠法が中国に伝わり,日本へは円仁が伝えたという。
それを受けた良忍が大原流として集大成,浄土宗,浄土真宗にも伝えられた。
真言系では寛朝を始祖とし,小野・広浄の2流派があるが,ともに中国の魚山に擬して魚山流という。
邦楽の成立に大きな影響を及ぼした。
→和讃
出典 株式会社平凡社

 

古代インドで文字の発音を研究する学問を“サブダヴィジャ”と言い、中国ではこれを声明と訳し、日本へも発音(音韻)の学問を指す語として伝わりました。
ですから、中国でも日本でも声明は、梵唄(賛歌)とは別のことを指す語だったのですが、鎌倉時代に天台宗の湛智(たんち)という声明家が、「声明用心集(しょうみょうようじんしゅう)」「声明目録」という著書のなかで、梵唄の理論を述べたことから、日本では梵唄のことを声明とも言うようになりました。
それ以後どちらかというと、声明という言い方のほうが広く用いられています。

「声明(しょうみょう)」は五明の一つである。
五明とは、仏教の学における声明(言語学・文学)・工巧明(工芸技術・算法暦法)・医方明(医学)・因明(論理学)・内明(哲学・仏教学)の五領域を言う。
明は「究明」の義で、現代のことばにすれば「学」に相当する。

声明を五明の中の第一とするについては、

一切の教法は皆文字を待て宣説す。
もし文字を離るれば教を起すに由なし。
(『空海奏状』)

とあるように、文字や文法あるいは訓読等、文献の学が根本である、との認識があったからである。
従って声明は、古代インドの言語であるサンスクリット(梵語)研究がその本義であった。

同時に声明は、梵語の偈頌等を諷誦吟詠して仏徳を讃嘆する梵唄(ぼんばい)をも意味したが、中国における梵語研究の難しさからであろうか、次第に梵唄のみを意味するようになった。

声明は、仏教とともにインドから中国へ伝えられ、中国で発展し、やがては日本へと伝えられました。

もともと声明とは古代インドの学問のひとつで、シャブダ=ヴィドゥヤーといわれ、言葉の学問、つまりサンスクリット語(梵語)の文法学を意味していました。

日本では平安時代、密教僧が真言や陀羅尼の学習のために、この梵語の文法学である 悉曇 を学びました。

天平勝宝 4年(752)、東大寺大仏開眼供養の際に声明が唱えられたことが記録にあります。

その後、9世紀の初めに 弘法大師空海 により 真言声明 が、また中頃には 慈覚大師円仁 (794~864)により 天台声明 がそれぞれ中国から伝えられました。

ここでは、真言宗豊山派の総本山、長谷寺に伝わる声明 「四智梵語」 を紹介します。

その内容は、 金剛界 の大日如来を讃歎するものです。

四智 とは、 阿しゅく如来(あしゅくにょらい)・ 宝生如来 ・ 無量寿如来 ・ 不空成就如来 の智慧を表しており、それらの仏と中心の大日如来とがお互いに供養することによって、金剛界の曼荼羅全体を意味します。

「四智梵語」は多くの法要で唱えられるため、真言宗の僧侶として唱える機会が最も多い声明です。

雅楽や声明という伝来音楽は、古来から日本にあった音楽に次のような影響をもたらしたものと考えます。

① 歌では旋律型の連結や漢語の抑揚(四声)に基いた声明曲の造り方(構造)が、それまでの日本語の抑揚と歌詞の句読(切分法)に従った日本古来の歌曲の、旋律の造り方に採り入れられていったであろことは充分に考えられます。
この傾向は漢語の日本語への流入と、軌をーにすると思われます。

② 歌と楽器の両方の音楽について、「拍」または「拍子」という考えが入ってきたことにより、古来の日本音楽にも「拍」の考えが生じたものと思われます。
また歌の伴奏に外来楽器である雅楽の楽器を用いるようになり、それまでの日本固有の音律(音の高さ)に、雅楽律(振動数)へと引き寄せられるという変化が起こったことは容易に考えられます。

③ 雅楽や声明(特に雅楽)の音階についての理論に、古来の日本音楽も組み込まれたであろうと考えられます。