仏教のことば:「三塗(さんず)」

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三塗(さんず)

三途とも書く。
地獄・餓鬼・畜生の三つの悪道。

死者が行くべき三つの場所。猛火に焼かれる火途(かず)、互いに食い合う血途(けつず)、刀剣・杖で強迫される刀途(とうず)の三つで、それぞれ地獄道・畜生道・餓鬼道となります。

「三途の川」

「三途の川」とは、この世とあの世の間を流れている河です。
この川を越えると、もう戻ってこれません。死後の世界に行きます。
三途の川とはどんな川なのでしょうか?

三途の川の「三途」は「三塗」とも書き、「三悪道」のことです。
「三悪道」とは地獄、餓鬼、畜生の3つの苦しみの世界です。

地獄は火に焼かれるので「火途(かず)」
畜生は互いに食い合うので「血途(けつず)」
餓鬼は刀で責められるので「刀途(とうず)」と言うので、「火血刀の三途」ともいいます。

この3つの世界は、渡りにくく、沈みやすいので、川にたとえられます。

また、人は死ぬと、冥土の旅の途中に、あの世とこの世を分ける大河を
渡らなければならず、それを「三途の川」
と呼ばれています。

このような言い伝えは世界中にあり、三途の川も、もともとは仏教本来のものではありません。

古代日本の三途の川

日本では、奈良時代にできた古事記に出てきます。
イザナギという男の神と、イザナミという女の神が、色々な神を生んでいると、火の神を生んだときにイザナミは火傷をして死にました。

イザナギが黄泉の国へ探しに行くと、イザナミから、「もう黄泉の国の食べ物を食べてしまったので 基本的に帰れないんだけど、 黄泉の国の神と相談するからちょっと待って、 その間、私を見ないで」といわれます。

ところがイザナギが言われたことを守らずに、イザナミを見てしまうと、腐った死体でした。

驚いて逃げると、イザナミは、「見たなー」と言って、ヨモツシコメ(黄泉醜女)などの
追っ手を使わして殺そうとします。

イザナギがおとりを使って逃げ切ると、イザナミは大軍を送り込んできたので、イザナギは桃を投げて追い払います。

こうして命からがら黄泉の国から帰ってきたイザナギは、ケガレをはらうために、川へ入ります。
上流は激流、下流は弱い流れだったので、中流でみそぎをしました。

この川を「三瀬川(みつせがわ)」といいます。
奈良時代は渡し守も橋も何もありませんでした。

それが、平安時代頃には色々加わって、「三途の川」となります。

三途の川

死出の山を過ぎると、河原で幼い子供たちが泣きながら石を積んでいます。
「賽の河原」です。
これが三途の川の河原です。
かわいそうですが、他人の心配をしている余裕はありません。

その向こうに見えてきた大河が三途の川です。
川幅は400キロ以上という向こう岸の見えない大河です。

三途の川には、3通りの渡る道があるので、「三瀬川」ともばれます。

上流は「清水瀬」といって、膝下くらいの深さで、罪の少ない人が渡れます。

中流には宝石でできた橋が架かっていて、善人は橋を渡れます。

下流は「強深瀬」といわれる激流です。
水面に顔を出すと鬼から矢を射られます。
水の中は大きな石が流れる濁流で、罪人の体は粉々になり、川の底には毒蛇がいて喰われます。
死んでもすぐに生き返って400キロを泳ぎ続けます。

室町時代以降になると、この強深瀬に渡し船がいて、六文の渡し賃で渡してくれることがあるのです。

三途の川の対岸

ようやく対岸にたどり着くと、大きな樹があります。
「衣領樹(えりょうじゅ)」です。

大樹の前には
「脱衣婆(だつえば)」というお婆さんと、「懸衣翁(けんねおう)」というお爺さんがいて、衣服をはぎとられ、木の枝にかけられます。
罪の重さによって、枝がしなります。

ここで素っ裸にされて死出の旅路を続け、閻魔大王の元に行くのです。

そして裁判で、死ぬまでに造った罪によって行く先が決まり、6つの迷いの世界のどれかへと生まれ変わって行きます。
これが輪廻転生です。

このように、三途の川を渡ってしまうと、必ず六道輪廻を続けなければなりません。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道は、いずれも苦しみ迷いの世界で、果てしなく生まれ変わりを繰り返しますので、三途の川に来てしまったらもう手遅れです。

「三塗の黒暗ひらくなり」

「三塗の黒暗ひらくなり」は正信偈の後にお読みする和讃の一節です。

「三塗の黒暗」とは死後に往ってしまうかもしれない「地獄」「餓鬼」「畜生」のことを表しています。
「ひらくなり」とはそれら怖い世界を切り開き、極楽浄土へ往生することを示しています。

仏光照曜最第一 光炎王仏となづけたり  
三塗(さんず)の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ

阿弥陀さまの光は、第1に勝れているので、光炎王仏と名づけます。

三塗の黒闇をも破る阿弥陀さまをたのみましょうとあります。

この和讃に「三塗の黒闇」とありますが、「三塗」は、火塗(かず=身を焼かれる地獄)、刀塗(とうず=貪りの餓鬼)、血塗(けつず=本能のみで血を流す畜生)の3つなのです。

しかも塗りまみれることですから、自らつくりとつくる煩悩汚染を地獄・餓鬼・畜生の三塗(=三悪道)の三層によって黒闇盛り土され、塗り重ねられ、かためられ、もはやがんじがらめになって苦しみ悲しみ悩み涙している私なのです。

たとえ諸仏の光明がどんなに素晴らしくとも、まったく届かないのが、三塗の黒闇盛り土の私なのです。この三塗の世界まで届き、暗闇を打ち破り、今ここで私に照らしてくださっているのが、ただひとつ、阿弥陀さまの光炎王の光なのです。