仏教のことば:「遺偈(ゆいげ)」

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遺偈(ゆいげ)

師僧が悟りの境地を漢詩風に表現し、弟子に与える辞世の句。

臨終のとき、あとに残す偈(げ)。多く禅僧が行なうもの。

高僧が死に臨んで、自己の感懐、信仰の根幹、弟子・後世への教訓などを記した偈。


「とんち一休」で知られる一休禅師には遺偈(ゆいげ)が二つ残されています。

一休が最晩年を過ごした酬恩庵(一休寺)と大徳寺の塔頭の真珠庵にあります。
文はまったく同じで、
須弥南畔  須弥(山)の南畔
誰会我禅  誰か我が禅を会せん
虚堂来也  虚堂(きどう)来るなり
不直半銭  半銭に直(あたい)せず

と書かれています。

「この世に私の禅を理解する者などありはしない
(祖師の)虚堂和尚がやって来ても 半銭の価値もない」
・・・という意味の句から始まる
讃仰した中国の祖師・虚堂智愚(きどうちぐ)和尚さえ
所詮は 半銭の価値もないと喝破した禅境に 一休の面目が窺えます。

一休という人は、その詩も、行動も、真に受けても、疑っても、理解するのが本当に難しい人です。

利休遺偈(りきゅうゆいげ)

千利休が自刃するに際し、天正19年(1591)2月25日にしたためた辞世の偈。
利休没後は一時千家を離れていたが、7代如心斎が再び千家に戻した。

「人生七十 力囲希咄 吾這宝剱 祖仏共殺 提ル我得具足の一太刀 今此時そ天に抛」と記されていて、利休は、死を恐れることのない気迫があらわれていますね。

この遺偈にある、宝剣、具足、太刀という字句はすべて日本刀を意味します。

利休が生涯をかけて育ててきた侘茶の道を日本刀に置き換えて表したものと思います。

以上のことをまとめて考えてみますと、遺偈の意味が判ってまいります。

人生七十力□希咄   人生七十にして悟ることができた

吾這寶剱       侘茶のこと

祖仏共殺       凄い力(霊力)がある

提ル我得具足     切り拓いてきた侘茶の道

一太刀        一碗の茶

今此時そ天に抛    今こそ侘茶の道を天下に問う

「人生七十にして悟るところあり、侘茶とは凄いものである、この侘茶の道を武器として天下に問い、雄飛せよ。」

これが遺偈の意味であり、大徳寺で修行中の孫、十四歳の宗旦少年に残した心の叫びではないでしょうか。