仏教のことば:「祖師(そし)」

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祖師(そし)

一宗一派の開祖をいいます。
実在した歴史上の高僧・祖師も仏のような存在として深く尊敬を集め信仰されました。宗派の開祖のことを指します。


親鸞・日蓮・達磨など。または、禅宗で法を伝えた歴代高僧の尊称。
開祖ともいいますね。

祖師と呼ばれる人々

■達磨大師(?)
5~6世紀の南インドまたはペルシア地方出身で、インドの王国の王子だったが中国に渡り禅宗の開祖となりました。中国・北魏の末期に西域経由で洛陽に入り、中国に禅の思想をもたらしたといわれています。のちに禅宗が発展するとともにさまざまな伝説的事績が付与され、伝説や語録がいくつも生み出されました。
達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。
禅宗で「祖師西来意」(そしせいらいい:達磨大師が西から来た理由)と言えば、「仏法の根本の意味」ということである。

■聖徳太子(574~622)
大陸から仏教を本格的に広めました。蘇我馬子らとともに政治に関わり、大きな業績を残した人物です。死後は、生涯が伝説化され、太子信仰が生まれました。

■鑑真(688~763)
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖です。天平勝宝6年(754)に戒師として仏舎利・経典・仏像などを携えて渡来し、唐招提寺を創建しました。

■最澄(767~822)
天台宗の開祖。延暦4年(785)東大寺で具足戒ののち、比叡山に登り、日枝(ひえ)山(さん)寺(のちの延暦寺)を創建しました。

■空海(774~835)
真言宗の開祖です。18歳で大学に入学しましたが、のちに仏道を志し四国や南都の大寺で修行しました。延暦23年、留学僧として遣唐船で入唐。密教の秘法を教わり、数多くの経論、曼荼羅、密教法具など日本にもたらしました。

■空也(903~972)
平安時代に諸国を阿弥陀仏の名号を唱えながら行脚した念仏聖(ひじり)です。遊行(ゆぎょう)の途次、道路の修理、架橋などの土木事業を行いました。京都・西光寺(のちの六波羅蜜寺)を創建した人物でもあります。

■法然(1133~1212)
浄土宗の開祖である法然房源空(げんくう)です。13歳のときに比叡山に登り、天台の教えを学びました。

■親鸞(1173~1262)
鎌倉時代に活躍した浄土真宗の開祖。親鸞の教えは、日常の家庭生活を営む中で念仏の道に帰依するという在家の仏教です。阿弥陀如来の本願に報恩感謝することで、現世で阿弥陀如来の救いにあずかるという内容でした。

■日蓮(1222~1282)
日蓮宗・法華宗開祖。比叡山で修行に励み、その間に『法華経』が仏教の真の教えであることを悟り、浄土教には批判的な立場をとりました。

■一遍(1239~1289)
鎌倉末期の時宗(じしゅう)の開祖です。はじめ天台宗を学び、その後浄土念仏に帰し全国を遊行して念仏を勧めました。念仏を称えた人は必ず浄土に生まれるという予言の札を与えました。また空也の始めた踊り念仏を盛んにし、民衆教化につとめ民衆信仰に大きな影響を与えました。

■一休(1394~1481)
室町時代の禅僧。とんちの一休さんのモデルです。

■維摩居士(ゆいまこじ)(?)
仏教徒の模範とされてきた人物で在家の弟子です。

■須菩提祖師について

須菩提祖師とは、釈尊十大弟子のなかの一人です。
十大弟子には順序があって、須菩提は第一の弟子です。
須菩提は釈尊に解空第一、と称されておりました。

釈尊は人を誉めるのがとても上手だったようです。
どんな弟子にもその優れた面について賞賛し、その得手を引き出すように褒め称えています。
だれが見ても取り得のないような愚か者に対しても、あなたは優れて真面目ですと褒め称えることのできた人で、それはまた、嘘偽りのない真実でもあり、このようなことができた、ということについてもわたしは、それが悟った人の行いなのかと思いをはせるものです。

解空第一というのは、
あなたは空を解く道に非常に優れており、第一人者である、という意味です。

釈尊のお弟子の中で須菩提は、釈尊の説く「空」について、一番よく理解した弟子でした。
釈尊の理解者で後援者であった給孤独長者の弟の子で、長者が釈尊に祇園精舎を寄進したとき、その説法を聞いて出家したといわれています。

石猿は解空第一の須菩提の弟子になったので悟空と名づけられました。
ここに須菩提の存在理由があります。

須菩提祖師と出合った悟空はすぐさま弟子入りし、師について法を学びます。
人間であったほかの弟子達よりも物覚えが速く、術もどんどん上達してやがて最高位の弟子になります。
師に入門して十年で地殺七十二変化の術をすっかり習得し、師匠に別れを告げて家来たちの待っている花果山に戻ります。