仏教のことば:「托鉢(たくはつ)」

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托鉢(たくはつ)

僧尼が経文をとなえながら、鉢を托出して米や金銭を乞うて歩くことです。
鉢は木製の食器です。

仏僧が,鉢を持ち,食物を乞うて歩くこと。乞食(こつじき)とも。その方法には厳密な規定がある。托鉢の語は中国で宋代から使用された。禅宗ではとくに重要な修行とされ,日を定め集団で托鉢に出た。
出典 株式会社平凡社

住職の修行の一つで、笠を被り手に鉢(はち)を持ち、経文を唱えて家々をまわったり、道路の脇などに直立して、米や金銭を分け与えて頂くことのようで、私たちは寄付をする事で功徳を積む修行になるそうです。

托鉢はインドから始まり、日本には中国から仏教と共に伝わったそうです。

日本の托鉢は、資金を集めることのほかに情報発信も含まれたそうで、周辺地域から遠隔地に広まっていき、浄土教などの布教活動にも繋がったそうです。

一度、托鉢の禁令が出されたそうで、解禁にあたり免許証の携帯が義務付けられるようになったそうですが、1947年に信教の自由と政教分離が定められて、托鉢免許証の携帯義務は廃止になったそうです。

現在でも宗派によっては、托鉢を行う際に、その宗派の許可(許可証や僧籍番号)を伝えるなどして行っているそうです。

古代インドでは、修行に専念するために農業などを行わなかったことから、出家者以外から、食料を調達する必要がありました。

普段は人里から離れた山や森などで修行をして、人々と関わることが少なかったことから、町村で生活している信者とは、托鉢をすることで繋がっていたようです。

供養を受けるにふさわしい風格でなければ(ただ、食べ物を乞うような人物では)、供養されなかったようです。

お釈迦様は、托鉢に向かう弟子たちにこう伝えたそうです。

「裕福な家ではなく、貧しい家を回りなさい。貧しい人たちは、自分が貧しいと思い、他人に対して施しをしてこなかったので、貧しさから抜け出せずにいる。だから、私たちが布施を頂くことで救ってあげるのです。」

お釈迦様の教えでは、貧しさから救ってあげることだそうです。

金額に関係なく寄付をする事とは、心に余裕がなければ出来ないことですね。

托鉢をしているお坊さんにお金を渡すことをお布施といいますが、これは財施(ざいせ)という自分の財産を手放し(浄財ともいいます)、執着を断つ修行にあたります。

一方で、財施を受けた時にお坊さんがお経を唱えることを法施(ほうせ)といい、これもお布施となります。

お布施とはお坊さんにお金を渡すだけの一方通行なやりとりではなく、財施をする人とお坊さんがお互いにお布施をしあう修行になります。

托鉢をしているお坊さんにお布施をする際は手に持っている鉢の中にお布施を入れます。特に金額に決まりはないのでお布施をする人が自由に決めて構いません。

托鉢中の僧侶は、お布施をいただいても「ありがとうございます」というようなお礼を言わないことが多いです。
お礼を言ってしまえば、まるで自分のための行為であるような意味合いとなってしまうからです。
お布施は財施をする人とお坊さんがお互いにお布施をし合う修行なので、お金を受け取ることに対する感謝の言葉は必要ありません。
そのため、托鉢をしているお坊さんにはじめてお布施をする方は感謝の言葉がないことに違和感を感じるかもしれませんが、それが本来の姿になります。

日本で行われている托鉢は、自らの修行としての意味合いや、寺院を維持するための収入という側面が大きいのは事実です。
そうした托鉢が間違いではありませんが、本意としてはやはり、一般の方が布施行をするため(徳を積んでいただくため)の手伝いと捉えたほうが正しいと思います。