仏陀(ブッダ)の生涯(11)仏陀(ブッダ)、説法を開始(1)

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「万物はすべて無常です。欲望も恐怖も苦悩も、すべて無我によって死滅する」。

シッタルダは、川辺の菩提樹の樹陰で、長年思索に思索を重ねて追求してきた真理を得ました。
“無処有所”の思想を飛び越え、一切を無と感ずることによって、心の安静を得て、”輪廻”の濁流を越え、欲望も苦悩も死滅させることができました。

「万物はすべて無常です。欲望も恐怖も苦悩も、すべて無我によって死滅する」。
シッタルダの得た”悟り”は、閃きによって得たもので、言葉では言い尽くせない体験でした。
このシッタルダの正覚を”成道”と言い、四諦八正道(したいはっしょうどう)とか十二因縁(いんねん)と言われています。

現在我々が耳にする”涅槃(ねはん)”と言う言葉は、漢訳の文字自体には何の意味も無く、ニルヴァーナのことで、心の平安や安静心を意味しています。

同じく”般若(はんにゃ)”にも文字自体には意味が無く、プラジニューのことで、”無分別智”と言う表現です。

常識的な分別智(大小、善悪、美醜等)は相対的なもので、絶対的なものではありません。

常識的分別差というのは、本来存在しないということです。

物を認識する場合は、本来のありのままの分別されない実体において把握しなければならないとされています。

分別智によって認識された善と悪も生も死も、すべて無分別智では否定され、その実体性も否定されています。

多くの人の迷いや悩みは、常にこの分別智から生まれてきます。
無分別智(プラジニュー)は、悟りへの知恵です。

“般若心経”は、この無分別智を説いており、多くの仏教宗派がこの般若心経を尊重しています。

無分別智の完成者、真理を自覚したゴータマ・仏陀(ブッダ)は、アジャパーラーの樹の陰に坐し瞑想していましたが、その姿はくつろいだ姿で、思索の苦しみから解放されたような風情になりました。

その前を通りかかったバラモンが、ゴータマ・仏陀(ブッダ)の姿を見て、はっと立ち止まったといいます。

仏陀(ブッダ)が、苦行を怠けているのだと思ったのです。

仏陀(ブッダ)はバラモンを諭し、最後に言いました。

「真のバラモンはこの世にある何物についても高慢な態度は示さない。
人が、バラモンと呼ぶかどうかは、当人の徳性の如何によるもので、生まれがどの階級からであろうと関係ありません。」

バラモンは恥じ入って、仏陀(ブッダ)を合掌礼拝して立ち去りました。

2人の旅の商人が仏陀(ブッダ)を訪ねてきました。
この2人は、仏陀(ブッダ)と仏陀(ブッダ)の教えに帰依すると述べ、在俗信者として認めてくれるよう頼み、仏陀(ブッダ)は大衆教化と精神救済に向かう決心をしました。

仏陀(ブッダ)がウルヴェーラーに行くと、以前仏陀(ブッダ)を誘惑して堕落させようとした女人達は、仏陀(ブッダ)の法に帰依すると誓いました。

仏陀(ブッダ)は、この女人たちは初めての女人の信者になりました。

 

ゴータマ・仏陀(ブッダ)は、真理を把握するためにたいへんな苦行と思索を重ねましましたが、それを大衆に説くのは簡単なことではありませんでした。

仏陀(ブッダ)は、はじめこの境地というものは他人にはとても伝えられないことだと考えました。

しかしそこに天から声がありました。
それは梵天の声であったともいいます。
「そのことを人々に伝えて欲しい。世の中に広めて欲しい」

この梵天の勧請によって仏陀(ブッダ)は自分の認識したことを人々に教え回ることを決意しました。

 

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