仏教のことば:「妙法(みょうほう)」

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妙法(みょうほう)

妙は神聖、絶対、無比の意味をあらわす。
従って、最もすぐれた仏法のことです。


仏語。深遠な理法、真理。また、いうにいわれない意味の深い教えの意で、仏法をいい、特に妙法蓮華経の略称として法華経をいいます。

南無妙法蓮華経という名前それ自体から、根源の法の深い意味がうかがえます。
法華経は、詳しくは妙法蓮華経といいます。
法華経で示される根源の法は、なかなか理解しがたい不思議な法であるので「妙法」と呼ばれています。

この妙法の特質を理解するための譬えとなるのが、植物の「蓮華(ハス)」ですね。

蓮華は、泥沼に生えてもそれに染まらず、清らかで香り高い花を咲かせます。
それは、妙法を信じ実践する人が、苦悩渦巻く現実世界に生きながら、清らかな心と行動をたもち、人々を教え導くことを想起させます。

蓮華は他の花とは違って、つぼみの段階でも花びらの中に果実である蓮台があり、花びらと実が同時に生長し、花が開いて実が現れた時も花びらがあります。

原因である花と結果である実が倶にあり同時である(因果倶時[いんがぐじ])。

まだ仏の境涯(仏界)が開き現されていない凡夫の段階でも、仏の境涯は見えないけれども厳然とそなわっていること、さらに仏となっても凡夫の生命境涯が失われないということを示しています。

蓮華は妙法の特徴を理解するための譬えとなっています。

そして妙法は永遠の真実を明かすものであるので、「経」として尊重され信仰されています。

「南無」というのはサンスクリットのナマス、あるいはその変化形ナモーの音写であるが、その意味を取って「帰命[きみょう]」とも訳されます。

「帰命」とは、身も心も帰依する、全身全霊で教えを実践し体現するということ。
南無妙法蓮華経は、あらゆる人々を救おうとする仏の慈悲と智慧の生き方が結晶した、仏の心そのものですね。

南無はサンスクリット語で、「私は帰依します」の意味です。妙法蓮華経は、法華経の御教えの意味で、法華経の教えを信じるという意味になります。

妙法蓮華経の妙は「正しい」法は「釈迦の教え」蓮華は白い蓮華の花の意味です。白は真実、正義の色で法蓮華教のことでもあります。

お題目とも言われる南無妙法蓮華経を連続して唱える行は、教えを信じ、自分が大宇宙の一点であることを宣言することを意味します。

同時に、大宇宙の一生命体である小宇宙が自分で、宇宙本来の流れや力を自分の肉体に呼び戻す回帰や覚醒の修行にもなります。

「妙法一乗」について

法華経だけが悟りを得られる唯一のものと説いたもの。
「妙法」は仏法の妙法蓮華経、「一乗」は悟りを得るための唯一の道という意味。

南無妙法蓮華経は、ブッダの説かれたお経にない言葉です。
ブッダは一切経七千余巻というたくさんのお経を説かれたのですが、
南無妙法蓮華経は一回も説かれていないのです。

日蓮宗では、南無妙法蓮華経にブッダの修行の功徳が備わっていて、
唱えると即身成仏できると教えますが、
ブッダはそのようなことは一言も説かれていません。
日蓮の創作です。

南無阿弥陀仏は、ブッダが説かれていますから、仏説です。
一例をあげると『観無量寿経』に
「南無阿弥陀仏と称せん。仏名を称するが故に、念々の中に於て八十億劫の生死の罪を除く」とあります。

南無妙法蓮華経はブッダは説かれていませんが、南無阿弥陀仏はブッダが説かれているという違いがあります。
これは、南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏の根本的かつ最も大きな違いです。

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