仏教のことば:「影向(ようごう)」

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影向(ようごう)

姿・形を見せずに神仏の霊が現れることです。

神または仏が現れること,また神仏が一時応現すること。この場合,神仏が仮の姿となって,この世に現れることを権現という。また姿を見せずに現れることもいう。神仏の影向は,中世の社寺縁起にしばしばみられ,それにちなんだ伝承地は各地に残されている。また,中世の絵画には,神仏の影向を具体的に描いたものが多くみられ,人々は,そのような神仏の具体的な姿を信仰の対象とした。出典 株式会社平凡社

影向(ようごう)とは、神仏が一時姿を現すことを意味します。

影向(えごう)、あるいは「ヨウコウ」と発音することもあります。

善養寺の影向(ようごう)の松
大正15年(1926)に東京都の天然記念物の指定を受け、 更に平成23年(2011)に国の天然記念物の指定を受けています。
茂っている広さが約900㎡(272坪)は、日本一の広がりで、幹を支える支柱は82本もあります。

影向(ようごう)とは、神仏がこの世に現れた姿のことです。
松の根元にある石は「影向の石」と呼ばれ、仏像泥棒の足が張り付いた伝説があります。

春日大社一の鳥居近くにある影向の松。

奈良の春日大社に鎮まる影向の松付近は、12月の春日若宮おん祭の際には注目が集まる場所として知られます。祭事の観覧席がこの辺りに設けられ、頭屋児が陣取る聖なる空間となります。

影向の松は春日明神が鹿島から来臨した際の依代とも、この場所で春日明神が翁の姿で舞を舞ったとも伝えられます。

春日大社の「影向(ようごう)の松」に至っては、春日明神が降臨する際の依代(よりしろ)であるともいわれている。

マツはもともと長生の上、常緑であることから、しばしば節操・長寿・繁茂の例にたとえられ、縁起が良く、しかも神聖な樹木の代表とされてきた。

植物燈油の普及は、仏教の弘布が大きく影響していたといわれています。
仏教には多数作善という思想があって、その一つに万燈会(まんとうえ)供養が挙げられる。
典拠とする「菩薩蔵経」には、懺悔滅罪(ざんげめつざい)して無上菩提(むじょうぼだい)を得るためには、十方仏の名号を誦(ず)して万の燈油を燃やし、さらに同数の香華果を供養するとあって、我(わ)が国では『日本書記』孝徳天皇の条に、白雉(はくち)2(651)年の暮れ、摂津味経宮(あじふのみや)で2100人余の僧尼を請じて、2700余の灯を燃やして一切経を読ませたという記載があります。
その後天平16(744)年には金鐘寺(こんしょうじ)(東大寺の前身)で1万杯の燃灯(ねんとう)供養が行われ、さらに同18年には聖武天皇が金鐘寺に行幸し1万5700余杯もって盧遮那仏(るしゃなぶつ)に燃灯した記録が『続日本記』に記され、万燈会としてはこのころが嚆矢(こうし)となったのでしょう。

影向堂(ようごうどう)

観音さまのお説法やご活躍に不断に協力される仏を影向衆(ようごうしゅう)と呼び、これらの仏さまをおまつりするお堂であります。内陣須弥壇(しゅみだん)の中央に聖観世音菩薩、その左右に干支ごとの守り本尊八躰がまつられている。
影向とは影が形にしたがい、響きが音に応ずるように仏さまの大きなお力が、それぞれの人の機縁に応じて現れ、利益を与える事です。

興福寺や薬師寺のような古代寺院には、影向戸(ようごうど)が存在しています。仏堂の背後の後戸脇に扉があって、護法神の出入口とされます。

神社などにある巨樹や巨岩に、よくしめ縄が張られているのを見かけますよね。

あのしめ縄の意味するところは、その樹や岩が神様のよりしろ(ご神木、ご零石)であるということを意味しています。

神霊が寄りつくもの。神霊は物に寄りついて示現(じげん)されるという考えから、憑依(ひょうい)物としての樹木・岩石・動物・御幣などがありますが、影向とは似ていますが意味合いがちがいますね。

「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)があります。

この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。