仏教のことば:「三世(さんぜ)」

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三世(さんぜ)

過去世、現世、来世をいいます。

過去・現在・未来の三世を通じて因果応報の関係があること。
過去の因により現在の果を生じ、現在の因によって未来の果が生ずることを説いたものです。

仏教の根本教理は、実に「三世因果」の教えにあります。

「三世」は、過去世、現在世、未来世のことです。

「過去世」といいますのは、私たちが生まれる以前のすべての過去をいいます。

「現在世」とは、この世に生を受けてから死ぬまでのことです。

「未来世」とは、永遠の死後をいいます。

私たち一人一人に、この悠久の過去と永遠の未来があると仏教では教えられます。

過去・現在・未来の三世を貫く生命があると説かれています。

「過去世や未来世なんか、あるか」という人もあるでしょう。
しかし、私たちが生まれたということは、まぎれもない「結果」です。

地球上、69億の人はあっても、生まれた時も所も、容姿も才能も、同じ人は一人もいません。

現在を見れば過去も未来も、みな分かる、悠久の過去と永遠の未来を包含しているのが現在であるからだと、教えられたものです。

この釈尊の教えによれば、一人一人の生まれた結果が異なるのは、69億の各人各様に生まれる前の、各人各様、異なった原因があったからに違いありません。

「善因善果、悪因悪果、自因自果」の厳粛な因果の道理に従って、私たちの過去世の行為が現在世の私たちの境界を生み出したのです。

当然、「過去世」があるように、私たちには「未来世」があります。
もし「未来世」がないとすれば、因果の道理に例外を認めねばならなくなるでしょう。

原因が変われば結果が変わるのが、因果の道理です。

原因が変わっても結果は同じだという主張は、三世十方を貫く「因果の道理」を知らない妄言です。
現在世の行為の結果が、たとえ現在世で現れなくても、必ず「未来世」に現れますから、「三世因果」は三世十方を貫く真理であると教えられているのです。

仏教の「三世因果」の道理が正しく理解されますと、いかに「現在」が大切かが知らされます。

「過去世」とは、とりつめれば去年であり、昨日であり、前の1時間であり、吐いた息が過去になります。

「現在世」も、とりつめれば今年であり、今日であり、今の1時間であり、今の一息が現在の当体となります。

「未来世」も、これも叩けば来年となり、明日となり、1時間先となり、吸う息が未来となります。

ですから、仏教の三世とは、吸う息、吐く息の中にあると教えられているのです。

今の一念を徹見すれば、曠劫の間、流転してきた自己も明らかになるし、未来の一大事も知らされることになります。

『因果経』には、「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」
と説かれています。

これは、過去を知りたければ現在を見よ、未来を知りたければ同じく現在を見よ、現在とは悠久の過去と永遠の未来とを包含しているものだと教えられたものです。