煩悩(ぼんのう)
人間の心身を悩まし、迷わせる、あらゆる妄念や欲望のことです。
「煩悩(ぼんのう)」というと、世間では、欲望のことだと思われています。
特に、お金や名誉の名利(みょうり)、男や女などの愛欲を求めて燃え盛っている心をイメージします。
私たちは幸せを求めて生きているのですが、意に反して、人生には、さまざまな苦しみがやってきます。
欲しいものがあるのに、お金がないので、我慢しないといけないこともあります。
仕事がうまく行かずに、プレッシャーや不安に押しつぶされそうになることもあります。
家族と意見が合わなくて、けんかになることもあります。
事故や病気で、体調を崩すときもあります。
どんな環境にあっても、ものごとがうまく行っても、苦しみ悩みはなくならないことが知らされてくると、私たちを苦しめているのは、自分の外側にあるのではなく、内側にあるのではないか、と、自分の心に目が向いていきます。
仏教では、私たちを苦しめる心を「煩悩」と教えられています。
この自らの煩悩が、自覚するとしないとにかかわらず、自らを苦しめ、悩ませているのです。
「煩悩」とはどんなものでしょうか?
「煩悩」とは、「煩」わせ「悩」ませるもの、と書きますように、私たちを苦しめ、悩ませる心です。
このことを、インドの高僧で、八宗の祖師と尊敬されている龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は『大智度論(だいちどろん)』にこのように教えられています。
「煩悩とは能く心をして煩わしめ能く悩みをなす、故に名づけて煩悩となす」(大智度論)
このように、煩悩とは、自分の心でありながら、自らを苦しめる心なのです。
煩悩は、1人に108あります。
その108もの煩悩が、私たちを苦しめているのです。
大晦日に除夜の鐘を108つくのは、「今年も一年間、煩悩に苦しめられてきたので、煩悩をなくして、来年は幸せな一年になるように」という願いをこめて、お寺で108回鐘をついています。
除夜の鐘で108回つくのは、煩悩に関連した理由があります。除夜の鐘とは、大晦日から年明けにかけてつかれるお寺の鐘のことを言います。
108回鐘をつくのは、煩悩の数が108あるからです。また煩悩の数の108には「たくさん」という意味も含まれています。
除夜の鐘は107回を大晦日のうちにつき、108回目は年が明けてからつくのが正式なやり方です。
煩悩の数が108もある理由の1つは、六根(人間の五感や心のこと)があるためです。
六根とは耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)のことです。
六根の働きにより生み出される六塵からさまざまな感情が起こります。
例えば、耳で何か自分にとって嫌なことを聞いたりすると、ネガティブな感情が沸き起こってきます。
また感情は好(こう)・悪(あく)・平(へい)に分けられ、さらにそれぞれ染(せん)・浄(じょう)に分けられます。
さらに染(せん)・浄(じょう)の感情も過去・現在・未来の3種類に分類することが可能です。
分類された感情の数として、六塵(6)×好・悪・平(3)×染・浄(2)×過去・現在・未来(3)を計算すると108となります。
二つ目の理由は、人間には十纏(じってん)と呼ばれる悪い心があるからです。
「纏」という漢字は「からみつく」という意味があります。そのため人を苦しみで縛る煩悩と同じ意味として捉えることができるでしょう。
十纏は無慚(むざん)・無愧(むき)・嫉(しつ)・慳(けん)・悔(け)・眠(みん)・掉挙(じょうこ)・婚沈(こんじん)・忿(ふん)・覆(ふく)の10種類に分類することが可能です。
また九十八結(くじゅうはっけつ)も、人間を縛り付ける煩悩のことで98種類あると言われています。
十纏の10の数と九十八結の98の数を合わせると108になります。
3つ目の理由は、四苦八苦の言葉にあります。四苦八苦はことわざとして有名な言葉ですが、仏教が始まりです。
本来の意味は人間によくある8種の苦しみのことです。8種類の苦しみは生・老・病・死の根本的なものと、4つの人生である愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦から成り立っています。
四苦八苦は4×9+8×8×9という計算式に変えると108となり、これが煩悩の数になっています。
仏教では、私たち人間は「煩悩具足(ぼんのうぐそく)」と教えられています。
「具足(ぐそく)」とは、それでできているということであり、これ以外にないということですから、煩悩100%ということです。
煩悩と人間の関係は、ちょうど、雪と雪だるまのようなものです。
雪だるまから雪をとったら何もなくなってしまうように、私たちから煩悩をとったら何もなくなってしまいます。
煩悩の塊ということです。
煩悩は悪であると考える人もいますが、決してそうではありません。なぜなら煩悩とは本能・欲求という言葉に言い換えることができるからです。
欲求とは人間が本来持っている「食べたい」「寝たい」「成長したい」といった気持ちです。こういった煩悩があるからこそ人間は発展してきたとも言えます。
例えば、「成長したい」ということは人や社会が変化していくためには必要な欲求です。
成長したいという気持ちがあるからこそ、社会でも様々な新しいテクノロジーや文化が生まれているのではないでしょうか。
「食べたい」「寝たい」という動物的な欲求は、人間の生命を維持するために必要不可欠なものです。もしこの欲求がなければ、食事もしないことになり生命を維持することができません。
煩悩は決して悪いものではないと言えますね。
悪いと言われる理由は、煩悩に振り回されてしまうことがあるからでしょうね。