仏陀の教え(17)「転迷闇悟」

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「転迷闇悟」~迷いからスタートして最高の安らぎに達する

一般に知識は、学ぶことによって得られ、智慧は、体験によって得られるとされます。

仏教の智慧は、事柄や現象の奥に、因果律や縁起の法などの法則を洞察する機能をいいました。

よく「転迷闇悟」といいます。

迷いを転じて悟りを闇く、迷いを転して心身の安らぎを得る、という意味です。
この安らぎのことを涅槃といいますが、大乗仏教では、六波羅蜜を成就することによって涅槃に到達するとしていました。

「迷いを転ずる」という考え方は、バラモンの支配する古代インドにはない考え方でした。
「転ずる」ということは西洋哲学のほうから申し上げますと、アウフヘーベン(止揚)にあたります。
迷いというものをより高い立場で統一をします。
いいかえれば、迷いというマイナスの価値を、より高い価値へ高めてプラスにしていく--それが悟りという意味になってきます。

迷いからスタートしたものが修行によって変わり、最後は安らぎに到達します。
それが悟りであるということでしょうか。

その道筋が理論化されているところが仏陀(ブッダ)の教えの特徴です。

修行というと非常に禁欲的な、あるいは精神的な感じがしますけれど、仏陀(ブッダ)の教えは日常の実践と結びついているものです。
しかも、修行の段階が明確に示されているからわかりやすい。

仏教が広まり現在まで続いているというのは、そのわかりやすさに理由があるでしょう。

誰もが日常の申で実践できるというのが重要だと思います。

仏陀(ブッダ)も、王族とか大金持ちたちにも支持されながら、立派な着物を着て、立派な宮殿に住んで、立派なお寺をつくるというわけではありません。
八十の高齢でなおホームレス同然のように歩き回って、貧しい人々の差し出す食事を喜んで受ける。

偉大な宗教者の最初というのは、やはりそういう実践において信者が集まってくるのだと思います。