仏教のことば:「座禅(ざぜん)」

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座禅(ざぜん)

坐して禅定を修することです。
両足を組んで坐り精神を集中し、思いをこらし、無念無想の境地に入ることです。
インドの宗教が行ってきた行法で、仏教が採用した。
結跏趺坐と半跏趺坐があります。


禅の修行法の一つ。
身を正し,端座して妄念(もうねん)をやめ,無念無想の境地で,自分の心とそれと異ならぬ仏心を見ようとする。インドでは古くから修行者の行った方法で,仏教で採用されたのは,釈迦が成道後7日間ずつ3度端座思惟(しい)したのに始まる。中国では達磨(だるま)以後重視され,見性(けんしょう)を重視する曹洞禅,公案を重んじる臨済禅で発達した。日本では道元が《普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)》,白隠が《坐禅和讃》を著し唱導した。座禅の足の組み方には結跏趺坐(けっかふざ)と半跏趺坐がある。

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坐禅(座禅)とは?

「禅」とは、“思いにふける、瞑想”の意で、それを「坐」して行われるため坐禅(座禅)といいます。

古代インドでは、心の安定・精神統一等を達成するために行われてきた修行法の1つで、仏教の坐禅(座禅)は、釈尊が悟りにあたって行なったことに始まりとされています。

曹洞宗開祖道元禅師は
「身心共にもっとも安定し、調和して真実の自己を確立することができる」
とし、坐禅(座禅)を特に重んじ、教えの根本としています。

坐禅と座禅

「ざぜん」は、正式には「座禅」ではなく「坐禅」と書きます。
これは、お釈迦様が屋根の無い場所で坐禅をしたことに由来します。
また、「坐」はすわること自体をさし、「座」はすわる場所をさす、という使い方の違いもあります。

坐禅(座禅)中は雑念や妄想を相手にせず、ただひたすら坐禅(座禅)にはげみ坐ります。
これを『只管打坐』といいます。

座禅の最中に、邪念が入ったり、姿勢が崩れたり、眠くなったりすると、警策と言って、僧侶に肩のあたりをたたかれます。

曹洞宗は後ろから右肩を、臨済宗は前から背中のあたりを打ちます。

僧侶が自分のところで足を止めたら、警策が来ます。自分から合唱することで、警策をいただくこともできます。

右肩をたたかれる場合は、軽く左側へ頭を傾けます。警策が終わったら合唱します。