仏教のことば:「在家(ざいけ)」

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在家(ざいけ)

出家にたいしていいます。
家に居住して、生計を営みながら仏教に帰依し、三帰五戒を受け優婆塞、優婆夷となった者。あるいは、単に在俗の人。

在家の人であって仏教に帰依する信者で男性を優婆塞(うばそく)、女性を優婆夷(うばい)と称し、仏弟子の四衆を構成する。

身は在家にあって心は仏門に帰す信徒のうち、髪を剃りおとした篤信の者を在家入道・在家沙弥(ざいけしゃみ)という。

「在家仏教」

「日本は在家仏教であるから、厳しい戒律を守る必要はない」、あるいは「大乗は在家信者から生まれた仏教であり、ゆえに一般家庭生活を送りながら仏の道をあゆむ在家仏教こそ、真の大乗」、「大乗は在家仏教であり、厳しい戒律を必要としない仏教だ。

日本仏教は大乗である。よって我々日本の僧侶はあれこれと細かい戒律を守らなくても良い。
戒律を守るのは出家主義・形式主義の小乗」などといった言葉を聞く事があります。

そもそも「在家仏教」とは何でしょうか。

「出家して僧になることなく、俗人の立場で信仰する仏教。また、俗人の信仰の意義を評価する仏教。」

在家仏教という言葉は、かなり曖昧な漠然としたものとして一般に使用されているようで、その実体がいかなるものか把握しがたいようです。

日本では「戒律」というものに対する無理解や誤解が根強いようですが、それらに基づいて形成されたものでしょうか。

出家をする、ということは読んで字の如く「家を出る」と理解してみてください。
在家は「家に在る」と書きますが、家に在りながら仏法僧の三宝に帰依されてる方ですね。

今は世襲が多いので出家と言いましても家を出ることはなく、自分のお寺で仏道修行に励まれる方も多くいらっしゃるとは思いますが本来は出家をするというのは家を出て、お釈迦さんの弟子になることですので「出家する」と言います。

在家は「在家者」、「在家信者さん」と言ったりしますが、いわゆるお寺ではないけれども仏縁に恵まれて関わっている方、と言うことになるでしょうか。

得度、というのは出家とタイミングはだいたい同じです。
仏門に入り、お釈迦さんの弟子になって僧侶の卵になった瞬間です。
僧侶としての僧名をいただいたり、頭に剃刀を当てたり、五戒を犯さないように保つか誓ったり、などなど、そういう儀式です。

僧名は今はお寺の子供ですと命名の時点からそのままの読みか、読み方を変えるだけで僧名になるように名付けられる方もいらっしゃいます。

受戒は「戒を受る」と書きますね。
これは広い意味で様々な場面で使われるとは思いますが「戒を授かること」を総称するかと思いますので、そういった場面で使われると認識してください。

いろんな宗派において決まった通過儀礼などで戒を授かる場合があります、もしくは師匠から授かる場合があります、それらを総称して「受戒」と表現するわけです。

苦行を止めたブッダは菩提樹の下で瞑想に入り、悟りを開いた。
その直後に通りかかり、食べ物を布施したいと申し出た二人の商人が、仏教史上最初の在家信者とされています。