仏教のことば:「因果応報(いんがおうほう)」

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因果応報(いんがおうほう)

ある原因によって、それにふさわしい結果が報われるということです。
簡単にいえば、善因善果・悪因悪果です。
果はまた因を生み、次の果をみちびいていく。

ブッダは次のように明示されています。

善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)

「善因善果」とは、善い原因は善い結果を生み出す、「悪因悪果」とは、悪い原因は悪い結果を引き起こす、ということです。

善い種をまいて悪い結果が起きることも、悪い種をまいて善い結果が現れることもありません。

まいた種に応じたものが生えてくるということです。

植物で例えると、カボチャの種をまいたらカボチャ、ナスビの種をまいたらナスビが生えてきます。

カボチャの種をまいてナスビが出てきたり、ナスビの種をまいてカボチャが出てくることは、絶対にありません。

次に「自因自果」とは、自分のまいた種の結果は、自分が現れるということです。これを「自業自得」とも言います。

他人のまいた種の結果が自分に現れる「他因自果」もなければ、自分のまいた種の結果が他の人に行く「自因他果」も絶対にないということです。

自分が健康になろうと思ったら、自分が運動する、自分が食事に気をつけねばなりません。
他の人がどれだけ心配しても、自分がやらなければ、自分に結果は現れません。

ここで「因」とは「行い」のことであり、「結果」とは「運命」のことです。

行いのことを仏教では「業」と言います。「業」のことを昔のインドの言葉では「カルマ」と言います。

よい行いをすればよい運命、悪い行いをすれば悪い運命が現れる。
幸せというよい運命はよい行いが生み出したものであり、不幸や災難という悪い運命は悪い行いが引き起こしたものであるということです。

よいのも悪いのも、自分に現れる結果のすべては、自業自得。自分の行いによって生み出されたものですよと、ブッダは教えられています。
これを因果応報といいます。