仏教のことば:「一即一切(いっそくいっさい)」

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一即一切(いっそくいっさい)

一がそのまま全体であり、全体の中に個があると共に、個の中に全体が含まれているという考え。

小さな一つのことが宇宙全体と同じである、という仏教の言葉です。

 

仏教用語。一つの個体は全体のなかにあり,個体のなかにまた全体があり,個体と全体とは互いに即しているとする考え方。『華厳五教章』のなかにある一即十の思想に発する。
一切即一(読み)いっさいそくいち
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大きな大宇宙の一切は、小さな一つに含まれていると言ってもよいでしょう。

血液一滴を検査してみると、体全体の状態が分かるようなものです。

仏教の言葉は大変難しく感じられる表現が多いのですが、実際には我々の日常のことを言っているのだと思います。

物事全体をいろいろと分析して計画を立てながら進めようとするのですが、なかなか思うようにいかず疲れてしまう事も多いものです。

いろいろ考え、効率的にやろうとしているのですが、なかなか思うように進みません。
よく考えてみると、今は必要でない書物まで大事に保存しようとしているのに気づきます。
いろいろな思いがあって、なかなか捨てられないのです。
もし心の中の「こだわり」、という一つを捨てられたら、難しいことを考えず、すべてがスムーズに運べるでしょう。

人間関係についても同じように思います。
自分の問題だけならまだ良いのですが、集団の中にいろいろな方々がいる場合、一人一人に対してどう対処したらよいか考えてしまいます。

相手はこちらの真実な心一つを見ているのかもしれません。

「一即一切」というのは、心と自然が分けられないで存在しているということなのだと思います。

大自然と小さな個人の心は調和していなければならないのです。

今人間の心は自然から離れています。
例えば、将棋の盤面で、小さな一手が大きな全体の勝敗にかかわっているのではないでしょうか。
大きなことを考えるとき、小さなことをもう一度大事に考えることだと思います。

 

「陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」

「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」の「無縁」とは、「互いになにも影響し合わない」という意味ではなく、「対象の区別がなく、すべて平等である」という意味です。

あらゆるものは平等に密接に関係し合っており、全体の中に個があり個の中に全体がある。二つの対立していると思われる個が本質的にはそのまま同一のものであるという考え方です。