仏教のことば:「意識(いしき)」

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意識(いしき)

眼・耳・鼻・舌・身・意の第六番目、第六識。
前五識が対象を別々に対して第六識は対象を総括的に把握する、識知し思考する心。

意識(いしき、Consciousness)は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す。 ただし、歴史的、文化的に、この言葉は様々な形で用いられており、その意味は多様である。Wikipediaより引用

意識(いしき、サンスクリット語: मनोविज्ञान、mano-vijñāna)は、六識の一つ。意根によって起こり、法境を了別する心王(しんのう、心の主たるもの)をいう。これに4種ある。 独頭意識 他の五識とともに起こることなく、独り生起して広く十八界を縁じる。Wikipediaより引用

仏教では、私たちの心を8つに分けて、「八識」と教えられています。

1.眼識(げんしき)
2.耳識(にしき)
3.鼻識(びしき)
4.舌識(ぜっしき)
5.身識(しんしき)
6.意識(いしき)
7.末那識(まなしき)
8.阿頼耶識(あらやしき)
の8つです。

「眼識」とは、色や形を見分ける心です。
これには個人差があって、近眼の人もいれば、
遠くまで見える人もありますし、色弱や色盲になると、
異なる色に見えているようです。

「耳識」とは、音を聞き分ける心です。
これも、一般の人とオーケストラの指揮者とでは、
違いがあります。

「鼻識」とは、匂いをかぎ分ける心です。
鼻が詰まっている人もいれば、鋭い人もいます。

「舌識」とは、甘いとか、辛いとか、酸っぱいとか、
味を見分ける心です。
これも、何を食べても美味しい人もいれば、
グルメな人もいます。

「身識」とは、寒いとか暖かい、
痛いたとか快よいなどを感ずる心です。
これも、にぶくてあまり感じない人もいれば、
ちょっとでも敏感に感じる人もいます。

これら5つの心を「前五識(ぜんごしき)」といわれます。
前五識は、色々感じることができるのですが、
記憶したり、考えたりすることはできません。
そこで、「意識」の登場です。

仏教で意識とは

「意識」は、前五識を統制して、記憶したり、判断したり
考えたり、命令したりする心です。

ところが、私たちは、頭で分かっていても
「分かっちゃいるけどやめられない」
ということがあります。

何かより強い力で動かされているのです。