仏教のことば:「方便(ほうべん)」

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方便(ほうべん)

真実(の悟り)に到達するためのてだて。

人を導くにあたり、その人の素質、性質、種々の事情を考慮し、最も適切な方法、手段をとることです。

仏教用語。
原義は近づく,到達するの意。
仏陀が衆生を導くために用いる方法,手段,あるいは真実に近づくための準備的な加行 (けぎょう) などをいう。
転じて「嘘も方便」などの用例にみられるように,目的のために用いられる便宜的手段などをいうこともある。出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

方便とは、仏教において悟りに近づく方法や、近づかせる方法のことを言います。

また、人を真実の教えに導くため、仮に取る便宜的な手段のことをさす言葉でもあります。

方便はインドのupaya ウパーヤという言葉からきたものです。
ウパーヤには目的に近づくという意味があります。
「方便は衆生を教え導く巧みな手段」とか「真実の教法に誘い入れるために仮に設けた教え」という意味があります。

方便を「たつき」と読み、手付と同意で使うこともあります。
何かを知るために手を付ける、手がかりとするという意味です。

うそも方便という言葉がありますが、うそは良くないことだけれども、良い結果を得るための手段として、時には必要であるという意味で使われます。

転じて詭弁と同義語のようにとらえられることもありますが、本来は仏教の考え方からきた言葉です。

三車火宅の喩」

「あるところに大金持ちがいました。
ずいぶん年をとっていましたが、財産は限りなくあり、使用人もたくさんいて、全部で百名ぐらいの人と暮らしていました。
主人が住んでいる邸宅はとても大きく立派でしたが、門は一つしかなく、とても古くて、いまにも壊れそうな状態でした。
ある時、この邸宅が火事になり、火の回りが早く、あっという間に火に包まれてしまいました。
主人は自分の子どもたちを助けようと捜しました。
すると、子供たちは火事に気付かないのか、無邪気に邸宅の中で遊んでいます。
この邸宅から外に出るように声をかけますが、子どもたちは火事の経験がないため火の恐ろしさを知らないのか、言うことを聞きません。
そこで主人は以前から子供たちが欲しがっていた、おもちゃを思い出します。
羊が引く車、鹿が引く車、牛が引く車です。
主人は子どもたちに『おまえたちが欲しがっていた車が門の外に並んでいるぞ!早く外に出てこい!』と叫びます。
それを聞いた子どもたちが喜び勇んで外に出てくると、主人は三つの車ではなく、別に用意した大きな白い牛が引く豪華な車(大白牛車)を子どもたちに与えました。
」という話です。

これは次のようなことを意味しています。
つまり登場人物の主人が仏で、子どもがわれわれ衆生です。
邸宅の中(三界)に居る子どもは火事が間近にせまっていても、目の前の遊びに夢中で(煩悩に覆われて)そのことに気付きません。
また、主人である父(仏)の言葉(仏法)に耳を傾けることをしません。
そこで、主人は子どもに三車(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗の教え)を用意して外につれ出し助け、大きな白い牛が引く豪華な車(一乗の教え)を与えたのです。

つまり、われわれ衆生をまず、三乗の教えで仮に外に連れ出し、そこから更に、これら三乗の教えを捨てて一乗の教えに導こうとする仏の働き(方便)を譬え話に織り込んで、説いているのです。

以上のように、方便とは本来の目的のために仮に用いる方法のことで、決して単なるうそではありません。

原始仏典「クッダカニカーヤ」の「長老尼の譬喩(ひゆ)」に「キサーゴータミーの譬喩(ひゆ)」という逸話

母親のキサーゴータミーはまだ歩き始めたばかりの幼い息子を亡くしました。

息子が亡くなった現実を受け止められずに、キサーゴータミーは亡くなった息子を抱えたまま、「息子を生き返らせる薬をください」と村中を彷徨います。

その中でキサーゴータミーは釈迦に出会い、釈迦にも同じく「息子を生き返らせる薬をください」と願います。
すると釈迦は「一人も死人を出したことのない家からケシの実をもらって来なさい」とキサーゴータミーに伝えました。

ケシの実で息子を生き返らせる薬を作ってもらえるのだと思い、キサーゴータミーは必死に村中の家を訪ねました。

ケシの実が見つかってもそこは死人が出た家ばかりで、キサーゴータミーはやがて死人を出したことのない家はないことに気付きました。

ようやくキサーゴータミーは生きる上で死は避けられないものだと悟り、釈迦に弟子入りをしたとされています。

原始仏典「マッジマニカーヤ」の「アングリマーラ経」という逸話

難産で苦しんでいた妊婦がいました。

その妊婦を勇気付けるために、釈迦が出家前は殺人鬼だった弟子のアングリマーラに対して「女人よ、私は、聖なる生を得てからこのかた、故意に生きるものの生命を奪ったという覚えがない。その真実によって、あなたに安らぎが、胎児に安らぎがあるように」と言うように命じた場面があります。

その言葉を聞いたおかげで妊婦は苦痛を和らげることが出来たと言われています。

原始仏典の二つの逸話に関しては、悪と言われる嘘ではありますが、 お釈迦様が真の教えに導くために場合によって「方便」を使っていたということを表しています。

この三つの話が、 「嘘も方便」の由来になったと言い伝えられています。

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