仏教のことば:「念仏(ねんぶつ)」

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念仏(ねんぶつ)

口に仏名(阿弥陀仏)を唱えることです。

念仏には日常となえる尋常行儀、特定のときに唱える別時行儀、そして死に臨んで浄土に迎えられるようとして唱える臨終念仏があります。


仏・菩薩の相好や功徳を心におもい浮かべたり,またその名号を口に唱えること。前者を観想念仏といい,後者を称名(しようみよう)念仏という。念仏には釈迦,薬師,弥勒,観音などの念仏もあるが,阿弥陀仏の念仏が代表的で,ふつう念仏といえば,阿弥陀仏の相好やその誓願のことを憶念したり,〈南無阿弥陀仏〉の6文字の名号を口に唱えることをいう。阿弥陀信仰が興隆し,西方極楽浄土へ往生したいとの願望が強まるにつれ,念仏が往生のためには必須の行業であると考えられた。

出典 株式会社平凡社

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)や南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)など、仏の徳や名前を言葉に出して唱えること。

或いは自身の信仰心を口に出して唱えることをいいます。

お経は仏の教え(経典)を分かりやすくしたもののため、お経=念仏とはなりません。

お葬式では、導師が経を読む前に念仏を称えるのが一般的です。
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」や「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」などは、誰でも耳にしたことがあるでしょう。

念仏と一口にいってもいくつか種類があります。
仏の理法を称える「法身念仏」、仏の徳を称える観念念仏、仏の名と帰依を称える「称名(唱名)念仏」。
他にも臨終に際して称える念仏などがあり、これは「臨終念仏」と呼ばれます。
臨終念仏は、死者の死に臨んで死後の浄土を願って称える念仏です。

お経と念仏は一緒だと思われがちですが、お経は仏の教えそのものですので、念仏とは全く別のものです。

一般的に念仏と言われているのは称名念仏で、仏を念じる時に口にする言葉です。
仏の姿や徳を心に思い浮かべて仏の名を口にし、自分はあなたに心身ともに捧げ、全ての拠り所とします、と念じます。

浄土教ではこの念仏を称えることによって浄土へ導かれるとされているので、信者たちは浄土へと救済されるべく熱心に念仏を称えているのです。

「なんまいだ」という表現を聞いたことがあるかもしれませんが、これは「南無阿弥陀仏」が」崩れた言い回しで、意味は同じです。

念仏は宗派によって違いがあり、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」、「南釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」、「南無摩訶毘盧遮那仏(なむまかびるしゃなぶつ)」などがあります。

仏教はインドから伝わった宗教のため、本来はインドのサンスクリット語に漢字をあてただけで、「南無阿弥陀仏」の漢字そのものに意味はありません。

「南無」は礼拝や敬意を表す「ナマス、ナモー」、「阿弥陀」は仏名である「アミダーバ」を音写して漢字に置き換えているため、「南無阿弥陀仏」と唱えることは、「仏様、あなたに敬意を表します」という意味になります。

念仏は仏を称えるものですので、実は故人ではなく祭壇に祀られた本尊に向かって称えられているということになります。

浄土宗のお葬式で、導師が経を唱える前に「南無阿弥陀仏」を三回称えるのは、信じる仏を称える作法の一つなのです。