仏教のことば:「娑婆(しゃば)」

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娑婆(しゃば)

煩悩や苦悩に満ちているこの世。

釈迦が衆生(しゅじょう)を救い教化する、この世界。
煩悩(ぼんのう)や苦しみの多いこの世。
娑婆という漢字を見ると、なんとなくお婆さんを連想してしまうのは私だけかもしれないが、漢字自体には何の意味もありません。

娑婆という言葉はサンスクリット語の「サハー」という言葉の音訳で、単純に「サハー」という発音に似た音のする漢字を当てただけです。

つまり「シャバ」と「サハー」はまったく同じ言葉ということになります。

「娑婆」は仏教から出た言葉で、私たちが生きている世界のことを言います。

この世界は苦しい中を堪え忍んで生きていかなければならないので、中国では堪忍土と訳されます。

「娑婆」が現代のような使われ方をするようになったのは、江戸時代の遊郭で働く女郎が「娑婆(=遊郭の外)こそ自由な世界だ。
娑婆はいいなあ」と使うようになったのが広まったためです。

本来仏教は娑婆に戻るのではなく、娑婆をこの世から極楽にする方法が教えられています。

こころは浄土にあそぶなり (親鸞聖人)

(意訳)こころは浄土で遊んでいるように明るく愉快です。

「サハー」という言葉の意味の方なのだが、これはだいたい「忍土(にんど)」と意訳されることが多い。

忍ぶというのは耐え忍ぶことで、土というのは土地、社会、世間、人が生きるこの世界を指している。

つまり私たちが生きるこの世界は、耐え忍ぶことを前提とした世界であるというのが、娑婆という仏教用語の意味ですね。

感覚的に言えば、苦しみなどは自分の人生から排除したいというのが本音です。
しかし、生きとし生けるものの中で、生きる苦しみを持つものは人間だけであろうし、生きる苦しみと生活の不都合は決して同じではない。
このように考えてみると、単純に苦しみを排除することが幸福につながると考える態度は、人間であることを自ら放棄することに等しいとさえ言えるであろう。

仏教語「娑婆」には、もう一つの意味があります。
それは、ブッダ釈尊が人間を教化する場所という意味です。
つまり、私たちの苦しみに満ちた生活の中に、苦しみを生み出す根元を教えて、与えられた生活を肯(うなず)く生き方を教えようというのです。
眼前の苦しみは、そのよって来たる所を明らかに知って、人間であることを完成していくための糸口であると言うのです。