仏陀(ブッダ)人滅後、主な弟子といわれる者が500人集まりました。
これを「結集」と呼んでいます。
500人と一口に言いますが、これは大変な人数です。
しかも、普通の人々ではなく、肉体も頭脳も極限まで鍛練を積んだ論客(ろんかく:好んで議論をする人。また、何事に関してもひとかどの意見をもち、それを堂々と述べたてる人。議論家。)が500人です。
仏陀(ブッダ)の生きた時代、インドでは聖典を文字にする習慣はありませんでした。
それはバラモンたちが自分たちの権威を高めるため、普通の人に経典の内容を写させないためだったとも言われています。
仏陀(ブッダ)の説いた八万四千の法門と呼ばれる教えは、その500人の弟子たちの頭の中に収められました。
すぐれた記憶術を誇る古代インド人ですが、人間である以上間違いもあると思うし、自分の解釈で覚えていった部分もあると思います。
そこで「結集」と呼ばれる大編集会議が行われました。
結集(けつじゅう)とは、仏教の経・論・律(三蔵)をまとめた編集会議のことです。
比丘たちが集まって釈迦の教えを誦出(じゅしゅつ)し、互いの記憶を確認しながら、合議のうえで仏典を編集した事業を結集と呼んでいる。 .
「結集」のサンスクリット語の本来の意味は「ともに歌うこと」でした。
仏陀(ブッダ)の死後、その教えはもっぱら記憶や暗唱を頼りとして受け継がれたため、その散逸を防ぎ、異説の生じることを防いで教団の統一をはかる目的で、弟子たちが各自の伝聞にもとづく資料をもちよって聖典の編纂(へんさん)が行われました。
次回へ続く