仏教の一期一会

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「時」を「今の一瞬」としてとらえ、人との出会いを大切にし、おろそかにしないように

自分も大好きなことばに「一期一会」ということばがあります。
別の自分だけのブログにのこのことばで表題をつけています。

人生のいろんな場面でよく出てくることばですが、「一期一会を大切にされ……」等と使ったりします。

今年10月31日、地球上で世界人口が70億人に達したそうです。

国連は31日に生まれた全員を「70億人目の赤ちゃん」と認定しました。

人口が10億から20億に増加するのに人類は100年あまりを費やしましたが、20億から30億までは30年、60億から70億に増加するのにはわずか12年しかかからなかった計算になります。

地球上に70億人近い人間が住んでいる訳です。

人間は、何千年、何万年という歴史を繰り返してきました。

このような、空間と時間の中で起きる一回性は、極めて貴重であり、「一期一会」ということばは、いろいろな場合に使われてきたのです。

仏教でいう「一期」とは、普通は一生涯のことをいいます。


また、修行のために一時期を限る場合にも用いられ、比叡山では12年間の山ごもりが一期であり、高野山では6年が一期とされています。

さらに常行三昧の実修では90日間を一期としています。

「一会」も仏教語で、説法や法などの一つの会合のことだそうです。

普通一般に使われる「一期一会」の成句は、仏典にはなく、千利休の弟子の山上宗二の『茶湯者覚悟十体』に由来しています。

辞書によれば
【「山上宗二記」の中の「一期に一度の会」から】茶の湯で、茶会は毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきことを説いた語。転じて、一生に一度しかない出会い。一生に一度かぎりであること。

また井伊直弼の『茶湯一会集』に「抑茶湯の交会は(中略)、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実に我一世一度の会なり(中略)、これを一期一会という」とあります。

仏教では、「時」を「今の一瞬」としてとらえ、人との出会いを大切にし、おろそかにしないように戒めているのです。

「一期末代」は、この世は一世、未来は永遠に」という意味です。
「一期病」は、一生治らない病気、すなわち死病のことをいいます。

釈迦の生まれたインドでは、菩提樹とか、ベンガル菩提樹と呼ばれるバニアンを、あちこちで見かけることができるそうです。

幹は太く、大きく枝を広げる常緑樹だそうです。

その樹下で、あるときは旅人が憩い、ある場合は村人が休みます。

日本でも昔は、路傍の地蔵さんのそばに大木が茂り、ここで旅人が、ひと息いれたそうです。

このような木陰は、内外を問わず、人の出会いに格好の場所だったのだと思います。

旅に必要な情報を交換したり、食べ物を分け合ったりすることで、新しい人間関係が生まれ、それを指したことばが「一期一会」ではなかったのでしょうか。

仏教では、こういった出会いも、前世からの因縁と考えたりするようです。