仏教のことば:「一蓮托生(いちれんたくしょう)」

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一蓮托生(いちれんたくしょう)

一蓮托生とは、死後、極楽浄土で同じ蓮華の上に生まれることを指しています。
同じ信心で結ばれている人たち、夫婦、友人などが、来世に極楽浄土で一緒に暮らそうと願う時、また、この世で結ばれぬ恋人同士が、来世こそ添い遂げようと願う時などに使われる言葉のようです。

、いつしか、善悪に関係なく、運命をともにする意味に用いられるようになりました。

「一蓮托生」の意味

よい行いをした者は極楽浄土に往生して、同じ蓮はすの花の上に身を託し生まれ変わること。転じて、事の善悪にかかわらず仲間として行動や運命をともにすること。▽もと仏教語。「托」は、よりどころとする、身をよせる意。「託」とも書く。

浄土で同じ蓮の上に生まれることを言い表した言葉ですね。

つまり、「旅立てば、同じ御浄土に咲く蓮でお会い致しましょう。」という、浄土での再会を言い表した言葉であるのです。

これは、連れ合い、夫婦や友人が極楽浄土にて再会し、一緒に暮らそうという願いがあり、そして救いのある言葉です。

現代的な意味と使い方の「一蓮托生」とは、随分違う印象であると思います。

本当に仲むつまじい夫婦の間柄を表す言葉である、そのような味わいを頂ける言葉である、というのが、この「一蓮托生」の意味ではないでしょうか。