威儀(いぎ)
礼式にかなった態度。
立居ふるまい、動作。
規律にかなった起居動作や立派な行為、作法。
戒律。
袈裟につけた平絎のひもの名称。
「威儀を正す」とは、なり、かたちをととのえ、作法にかなった立居ふるまいをすることをいいます。
「居ずまいをただす」とも、「威儀をつくろう」ともいいます。
仏教では、行(行くこと)、住(とどまること)、坐(坐すこと)、臥(ふせること)を四威儀といい、それぞれに守るべき戒律が定められています。
「威儀」は日常生活での一切の行動を包括しているのです。
戒律上の細かな作法や規則も威儀といい、小乗には三千威儀、大乗には八万威儀と、戒律の異名にもなっています。
袈裟の肩上から前後に通じる平絎(ひらぐけ)の紐も威儀と呼んでいます。
禅宗の一宗派である曹洞宗には、
「威儀即仏法 作法是宗旨」(いぎそくぶっぽう さほうこれしゅうし)
という金科玉条があるそうです。
日本曹洞宗の開祖である道元禅師の言葉ですね。
曹洞宗の教義を一言で示すものとして、この言葉は非常に重んじられています。
通常この言葉は、
「きちんとした儀式作法を行い、教えに則った生活をおくることが、曹洞宗の教えである」
と解釈されています。
永平寺などの修行道場では日常生活の細部にまで規則が定められており、その規則に従って日々の生活をおくることが修行の大前提とされています。
法要儀礼はもちろんのこと、朝起きたあとの顔の洗い方からはじまり、食事、トイレ、掃除、風呂、睡眠など、信じ難い細部にいたるまで、あらゆることに作法や規則が存在します。
4時に梵鐘を撞くのであれば、1秒の狂いもなく正確に4時ちょうどに撞かなければいけないそうです。
神経質になり過ぎではないかとの思いが、当然のごとく心に湧き起こるような生活をおくっています。
「それは形骸化なのでは?」との指摘を受けることもあるそうです。
しかし、形を重んじることこそが宗旨であると堂々と謳っているため、
「形がなければ、ただの形無しでしかない」
むしろ、形を揃えることができないのは、我をコントロールすることができない証拠であり、心の乱れの表出と見なされるそうです。
そこでは徹底的に我を殺し、大勢の修行僧と一つにならなければならない。
永平寺を訪れ、大勢の修行僧が一糸乱れぬ動きで法要を勤める姿を見たことのある方は、きっと一目見て驚かれると思います。
形を極め、形になりきった姿がそこにはあります。
道元禅師が残した「威儀即仏法 作法是宗旨」という言葉の意味を良く理解することが大切ですね。