臨終(りんじゅう)
人生最後の瞬間。
死を迎える直前の時期をいう。
この危機的な時期をめぐって,死の受入れと死のみとりに関するさまざまな慣習と文化が生みだされた。
死を迎えることの意味を説いた古い文献としては,エジプトやチベットで作られた〈死者の書〉が知られているが,それはかならずしも臨終時の問題に焦点を合わせたものではない。
これに対して西欧では,中世末に〈アルス・モリエンディ(往生術)〉として知られる文献が書かれ,臨終を迎える者のための心得が説かれた。出典 株式会社平凡社
臨終とは、人が亡くなるまぎわのことをさします。
死に臨むことをいいます。
一般的には息を引き取る時にも使われる言葉です。
危篤になると、病床に家族が集まり最後の対面をします。
臨終の間際には、割りばしの先に脱脂綿を巻き付けたものなどを使って、唇を湿らせてあげることで、故人に末期の水を取ります。
末期の水には死者との別れの意味が込められています。
人が息を引き取ろうとするとき、または息を引き取った直後のことをいいます。
仏式では末期の水を取り、表の戸口に忌中札が貼られます。
神道では、臨終とともに、神棚に向かい祖霊に対し、死を報告し、扉を閉ざして半紙などの白い紙を貼って、封をします。
臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)
人が死を迎える(臨終する)際に行われる儀式作法の事を指す。
様々な僧侶が書物にまとめたものが残っています。
主の内容としては、臨終にあたっての病室の飾り方や、亡くなる方への対応、お経の唱えたかなどから、臨終ににあたる故人の服装などが記されています。
臨終正念(りんじゅうしょうねん)
死に臨む時も心を乱さずに、心を穏やかに保つこと。
仏教の言葉で、心静かに念仏を唱え、極楽往生を願いながら死んでいくことをいう。
「臨終」は死ぬ直前のこと。
「正念」は心を正しい状態に保つこと。
お経の中に「臨壽終時(りんじゅじゅうじ)」という言葉があります。
「寿終(いのちおわ)る時に臨(のぞ)む」と読みます。
医師が、いままさに亡くなっていく方の脈をみていて、その脈が止まるとき「ご臨終です」と告げます。
私たちの煩悩(ぼんのう)は「臨終の一念にいたるまで、きえず、たえず」という法語もあります。
臨終とは「命の終わる時に臨む」という意味から、命絶えることを意味します。
時間的に死に際、末期(まつご)という、死の前後の短い時間をすべて含みます。
生きている時は死んでいないし、死んでいる時は生きていない。
現代医学によって境界はあやふやになってきましたが、どちらにしてもこの「二つの時(有・無)」という基本的考え方は変わりません。
私たちの実感は、臨終はどこまでも未来でしかなく、今の事実には決してなりません。
このような私たち凡夫の姿をよく知ったお釈迦さまが、凡夫でもただ一度、唯一いやおうなくいのちの事実に出会える時、死ぬ間際の時として「臨終」を説かれたのでしょう。