第26章は「バラモン」について説いています。その1
螺貝のような髪をしているからバラモンなのではない。
名前によってバラモンなのではない。
生まれによってバラモンなのではない。
真実の法を悟る人は安楽である。
彼こそバラモンなのである。
バラモン、漢訳では婆羅門と音写されています。
当時のインドにおける祭司者のことで、最高の地位と実力を有していました。
王様さえ彼の前には膝まづいたと言われます。
原始仏教においては、やむを得ない事情があったために、階級制度を表面的には是認する形をとっていました。
本来は地獄も極楽も実在するものではないと言いながら、一方では良いことをすれば極楽にいけるけれども、悪いことをすれば地獄に落ちるぞなどと説いたのと似ています。
しかしその地獄極楽よりはもう少し明確に階級制度は是認していたようです。
そのように認めたうえで、バラモンはかくあらねばならないと説いたわけです。
巻貝のように螺旋型の髪を結っているからバラモンなのではありません。
バラモンという名前の階級に据えられたからバラモンなのではありません。
バラモンの家に生まれバラモンとして跡を継いだからといってバラモンではありません。
と言っているのではないでしょうか。
当時のインドのカースト制度は家系を中心とした跡取り制として成り立っていたものと考えられます。
そうして、衣服を整え、髪型は長髪を巻き上げて螺旋状にしていたことと思われます。
仏陀は、祭司者として最高の地位と実力を持つことはそれはいいでしょう、単に親がバラモンであったからとか、跡取りとしてバラモンと呼ばれているとか、あるいは衣服を整え髪型を螺貝のようにしているからといって、真のバラモンとは言えないとしています。
苦集滅道の四諦を知り、八つの正しい道八正道を極め、縁起と空の論理を知って真に目覚めた人でなければ、真のバラモンとは言えないといっているわけです。
そのような真実の理法を守る人こそバラモンと呼ぶにふさわしいと言っているのではないでしょうか。
この詩は、原始仏典の一つであるダンマパダの一節ですが、別の原始仏典ウダーナヴァルガにもほぼ同様の詩が記されています。
さらに、原始仏典のスッタニパータにも、「生まれによってバラモンなのではない。
行為によってバラモンなのである」という趣旨の句が記されています。
この精神は仏教においては特に強調された考え方なのです。
人の上にたつ人こそ、真の理法をまもらねばならないのだと思います。