第11章は人生における「真理の法」について語っています。
人生しかり、すべてのものは無常です。
絶えず移り変わり変化しており、変わらぬものはありません。
今日は笑っていられても、明日も快楽があるとは保証されません。
一日一瞬たりとも自らの命を大切にし、充実して生きて行かなくてはなりません。
無常と言う火に追いまくられている自分を自覚してみれば、快楽を求めて笑って過ごしていられるものではないのです。
それなのに、多くの人はそのことに気がつかず、また気づこうともしていないのです。
仏陀は心底そう思い、心配し、皆に語りかけていると思います。
私たち多くの凡人をみて、その全く自覚のない奔放な生活ぶりを見て、心のそこから、思われたに違いありません。
無常の火に追いかけられていることになぜ気がつかないのだ、なぜ充実感を得た生活をしようとしないのだと心配されたのです。
仏陀の心配を少しでも受け止めて、真理の法を得なくてはならないと思います。
146
何の笑いがあろうか。
何の歓びがあろうか?──世間は常に燃え立っているのに──。
汝らは暗黒に覆われている。
どういて燈明を求めないのか?
147
見よ、粉飾された形体を!(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。
病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない。
148
この容色は衰えはてた。
病いの巣であり、脆くも滅びる。
腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。
生命は死に帰着する。
149
秋に投げすてられた瓢箪(ヒョウタン)のような、鳩の色のようなこの白い骨を見ては、なんの快さがあろうか?
150
骨で城がつくられ、それに肉と血とが塗ってあり、老いと死と高ぶりとごまかしとがおさめられている。
151
いとも麗しい国王の車も朽ちてしまう。
身体もまた老いに近づく。
しかし善い立派な人々の徳は老いることがない。
善い立派な人々は互いにことわりを説き聞かせる。
152
学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。
かれの知慧は増えない。
153
わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、──家屋の作者(ツクリテ)をさがしもとめて──。
あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。
154
家屋の作者よ!汝の正体は見られてしまった。
汝はもはや家屋を作ることはないであろう。
汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。
心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
155
若い時に、財を獲ることなく、清らかな行ないをまもらないならば、魚のいなくなった池にいる白鷺のように、痩せて滅びてしまう。
156
若い時に、財を獲ることなく、清らかな行ないをまもらないならば、壊れた弓のようによこたわる。
──昔のことばかり思い出してかこちながら。