仏陀真理のことば:第七章真人

スポンサーリンク

第7章は物事の本質についてまとめられています。

仏陀は、何一つ不自由のない王子の位を捨て去って出家しました。

お城を出るときは、首飾りや腕飾りなど綺麗に整えられていました。

まだ悟りに到る以前の、その出家直後に既に思われたことは、無欲であらねばならないと考えられたのです。

そして、道を行くみすぼらしい格好をした人と、衣類をそっくり交換したと伝えられています。

仏陀は、そのような考え方を持っていたので、仏陀の教えを受ける修行者は、三枚の衣と、鉢、それに寝具と水入れ、これら六品の他は何も持ってはならないと定められているようです。

解脱と言うのは束縛を離れた境地だと言えますが、束縛を離れた境地というのは、自らを主体にした境地です。

その解脱の境地は空であり、無相でなくてはなりません。
空というのは何ものも実在しないと言うことであり、怒りも迷いも実在しないということです。

無相というのは空を別の言葉で言っているでのあり、怒りの相、情欲の相、苦しみの相など実在しないことを言っているのではないでしょうか。

そのような境地に到った聖者ならば、その聖者自らが考え行動するものであって、まったく束縛されず自由に振舞いながら、全ての行いは正しいのです。

その行いは聖者にしか分らず、凡人には図り知ることが出来ないようです。

90
すでに(人生の)旅路を終え、憂いをはなれ、あらゆることがらにくつろいで、あらゆる束縛の絆をのがれた人には、悩みは存在しない。

91
こころをとどめている人々は努めはげむ。
かれらは住居を楽しまない。
白鳥が池を立ち去るように、かれはあの家、この家を捨てる。

92
財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く路(=足跡)は知り難い。
──空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

93
その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれの足跡は知り難い。
──空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

94
御者が馬をよく馴らしたように、おのが感官を静め、高ぶりをすて、汚れのなくなった人──このような境地にある人を神々でさえも羨む。

95
大地のように逆らうこちなく、門のしまりのように慎しみ深く、(深い)湖は汚れた泥かせないように──そのような境地にある人には、もはや生死の世は絶たれている。

96
正しい知慧によって解脱して、やすらいに帰した人──そのような人の心は静かである。
ことばも静かである。
行いも静かである。

97
何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を絶ち、(善悪をなすに)よしなく、欲望を捨て去った人、──かれこそ実に最上の人である。

98
村でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい。

99
人のいない林は楽しい。
世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう。
かれは快楽を求めないからである。