第一章ひと組みずつ(1)
第一章では、二つの詩が対になっています。
同じ事を反対側から見て説いています。
この詩は、汚れた心の場合と、清らかな心の場合の二つの方向から見て説いています。
ものごとは全て心によって作り出されている、とされています。
この全てのものごとと言うのは、ここでは森羅万象全てのことと捉えるのではなく、人の考え方や行動と言う範囲について説いていると見たほうがよく分ります。
唯心論の世界のように、心に思い描くことが出来るからこそ万物が存在しうるのだと言うような意味にはとらないほうが良いでしょう。
犬猫にしても、心を持っているものは全てかもしれませんが、少なくとも我々人間の言動は心が先にあり、心が主体となっていることに間違いはありません。
右に行きたいから右に行き、楽しいから笑い、悲しいから泣くのです。
一般的にその反対は考えくいですね。
特殊な例を引いて、思いもしないのに体のほうが先に動くことがあるではないかと、言われるかもしれません。
仏陀の今ここで言いたかったことは何だったでしょうか。
宗教家として言いたかったことは何だったかと言うことです。
数学的、あるいは科学的な論をしているのではありません。
人々はどうあらねばならないかを説いていると思います。
人の言葉というのは実に怖いものであると言う一面を持っています。
他人をののしれば、大抵は明日から絶交状態になってしまうでしょう。
仏陀はずばりそう言っていると思います。
汚れた心で話すならば、そこから苦しみが始まってしまいます。
汚れた心で行動するならば、やっぱりそういう結果になるでしょう。
逆に、清く正しい語りをし、行動をするならば、慕われ、尊敬され、皆と仲良く暮らしていくことができるでしょう。
だから、人々よ、先ず第一に心を清く正しくしなさい。
そうすれば自ずと、言葉も清く正しくなり、行動も清く正しくなるのだよ、と説かれていると思います。